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そこには二種の絶景が同時に存在していた。
西には、青々とした草が美しく萌え茂る草原が広がっていた。そして、その先にあるのは、太陽の光を浴びた木々は実る黄金色の果実によって神々しい輝きを放ち、その甘い香りに誘われ、七色の羽を持つ小鳥が集い上品な声で囀る森林。
これを左手に臨む小道を挟み、東の崖の向こうに存在するのは、 落ち口から滝壺まで一気に落下する瀑布。清水の幕は幾重にも織り成す虹に彩られ、滝壺よりあがる轟音は豪快にして静穏の極み。
これら二つの情景を縦断する小道の両脇には様々な彩色から成る草花が咲き、穏やかな風に揺られ、さやさやと静かな音を奏でていた。
その多彩なる小道の先には、木造の小屋があった。
建てられてから幾月も経ってはいないであろうそれに設けられた一室。部屋には特別あつらえの寝台が備えられており、これは小屋の主がそれを必要としていたが為に与えられたもの。
寝台に腰をかけているのは一人の女。その腹にはしかと子種が宿り、誰の目にもそれと分かるほどに迫り出していた。
頃は黄昏。寝室の窓より傾きかけた陽の光が差し込み、俯いた姿勢のまま、ただ只管に沈黙を続ける女の姿を静かに照らし出した。
褐色の肌を持つ女であった。
銀色に輝く長い髪は、一切の手入れをされた様子はなく無造作に荒れ、項垂れた彼女の額や目を覆い隠す。無論、その表情を視認することは出来ない。
彼女の足許の床には、難解な理論や数式の数々を記した書物が乱雑に重ねられ、または読み捨てられ、打ち遣られていた。
室内の様相たるや、女の荒れた心情を象徴しているかのよう。
その時、何かが輝きを放った。女の前髪、その隙間より発したかと思うと、それは頬を伝い、やがて顎の先より零れ落ちた。
黄昏の陽光に反射する一筋の涙であった。
表情を変えず、静かに涙する女──彼女の名はカレン。
神聖ソレイア公国の君主ソレイア直属の部下にして、国内最高位の錬金術師である。
「兄様……」
その口より掠れた声が発せられた。口惜しげな呟きであった。
主君ソレイアより暇を与えられ、公国の西に聳える高山──霊峰と称される山の中腹に建てられたこの小屋の中で静養していた彼女は半月程前、悲報に接した。
それは、最愛の兄ヴェクターが戦死したとの報であった。
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