第1章

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「では、その暗殺者様が、この私に何の用かしら?」カレンの声に微かな苛立ちの感情が帯びる。陰鬱な気分に浸っていた彼女にとって、この男の軽薄な態度が癪に障った。 「これ以上、私の神経を逆撫でしようものならば、喩えソレイア様の恩情に与っている貴方であろうと──」 「そう怒るな。腹の子に障るぞ」男は鼻を鳴らし、その怒りを一笑に付した。「今回は、そのソレイア様より至急の使いとして馳せ参じた次第よ」 「使いですって?」錬金術師は怪訝する。「私は今、ソレイア様より暇を与えられている身。そんな私に火急の用とは奇妙」 「事情が変わった」  声が発せられた刹那、窓の外より何かが投げ込まれた。  それは、カレンが腰掛ける寝台の毛布の上を弾んで床へと転げ落ち、やがて動きを止めた。  一本の小瓶、黒い液体の詰められた瓶であった。 「これは、兄様の──」  カレンの目が見開かれる。 「左様、ヴェクター殿の遺作よ」  この黒い液体こそ、ヴェクターが最期に開発した新薬であった。  服用した者の脳に作用、凶暴性を増し、暴力的な身体能力を著しく増進させるという効果がある。  それは、ヴェクターとカレンの師レーヴェンデの手によって創り出され、錬金術師兄妹の手によって改良を重ねられた『蟲』の技術──その応用によって作られた薬であった。 『蟲』を脳に蟲を移植された者は、他者の意のままに操られるようになると同時に、凶暴性を増し暴力的な身体能力を著しく増進させるという効果がある。  それ故、この『蟲』によって、人間のみならず様々な魔物を統率のとれた軍勢へと作りかえる事を可能としていた。事実、神聖ソレイア公国が建国される以前、この地──西の聖都グリフォン・テイルは、この『蟲』の力を用いて作られた幾多もの魔物から成る軍勢をもって蹂躙されたのだ。  その実績ゆえ、『蟲』とは極めて強力な代物であった。  だが、その『蟲』には致命的な欠点が存在していた。  それは「『蟲』自体が破壊されること」である。 『蟲』は無数の触手を脳に突き刺し、温床とする性質を持つ。そして、移植者の思考へと干渉することにより、行動や言動を支配する働きをする。  そういった性質ゆえ、『蟲』に強い打撃を与えると、衝撃を伝播した触手が移植者の脳を破壊し、移植者の命を奪う。
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