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欲望の為に悪行の限りを尽くし、大陸中の人々より狂人と称された女の心が悲鳴を上げる。
それは、更なる深き狂気の領域への誘い。
やがてソレイアは泥濘んだ地面に膝をつき、泥に濡れた手で頭を抱え、その額を泥中に埋めた。
泥が跳ね、その端正な顔や艶を帯びた髪、肌理の細かい白い腕や、豊かな胸の谷間を斑に染める。
「貴様は……誰だ……」
薄れゆく意識の中、ソレイアはもう一度だけ鬼火に問いかける。
返答など、一切期待してはいなかった。
この行為も、今まさに『声』によって押し流されつつある自我を繋ぎ止める行為に過ぎなかったからだ。
そして同時に、彼女は理解していた。
これも、結局は徒労に終わるであろうと。
刹那、朧げとなっていた視界の中で、眼前の鬼火が更に膨張し、青白く輝く炎の奥に潜む影を見た。
「貴様は……」
それは、背に翼を持つ首のない女であった。
鬼火の中に浮かぶ影であるが故、その詳細については一切視認する事は出来ぬ。
だが、ソレイアは影に見覚えがあった。
「……フェイ、なのか?」
ソレイアは、名を呼んだ。
かつて、錬金術師カレンの従者として自分の前に現れ、霊峰の秘密に挑んだ魔物の名を。霊峰を守護する者──霊術士によって、息の根を止められた夢魔の名を。
「亡霊となり果て、私に何を伝えに来た? 己の無念をか? 貴様を殺めた霊術士の死が望みか?」
公国の長は、必死に言葉を紡いだ。
「ならば──私に力を貸せ。私の目的が達成されたのならば、自動的に貴様の無念も果たされよう。魔物として上位に属する貴様の力を貸すのだ。フェイよ」
ソレイアの必死さとは裏腹、火中の女は一切動じた様子を見せぬ。
まるで、その様を冷然と眺めているかのようであった。
『声』は止まぬ。いや──止むどころか、それは次第に存在感を増していった。ソレイアは自分の頭が今に破裂するのではないかという錯覚に陥っていた。
幻の痛みが、ソレイアを苛む。
だが、公国の長がその顔に浮かべたのは──
笑みであった。
凄惨めいた豺狼の笑みであった。
「なるほど──これは託宣か」
痛みの中、ソレイアは現状の意味を解釈した。
「ここは貴様の死地──即ち霊峰か。亡霊の貴様が、ここで私を急かすということは、この霊峰にこそ、私を導かんとする『何か』が存在しているというのだな?」
意識は不意に途切れ、闇の世界へと落ちていく。
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