第1章

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 <1>  眼下に雲海が広がる崖の上に、その光景は存在していた。  崖の淵より数十歩程の位置に聳立している巨大なる石英の碑。それは燦然と輝く太陽の光を浴び、様々な色彩を織り成して絶えず輝きを放ち続けている。  ここは霊峰の頂上。聖獣グリフォンの魂が封じられ、祀られた碑。  霊術士と呼ばれる数少なき異能者のみが立ち入る事の許された聖域。人の手が入る事なき聖地。  だが、その地には本来存在している筈のない──いや、存在するべきではない明らかなる『人工物』が新たに備えられていた。  それは祭壇。銀で造られた祭壇であった。  そして、その上──両脇に設けられたふたつの柱に銀の鎖にて両手を拘束され、倒れることすらままならず、力なく項垂れている女がいた。  妙齢と思しき女であった。  それはまるで、石英の碑に捧げられた生贄の様相。  長く伸ばされた赤い髪を、髪留めを用いて後ろに束ね上げており、その身を纏うのは、この寒冷な高山には不向きと思われる程の薄着。胸を純白の布で覆い、腰を覆うのは腰布のみ。  この露出の多き肌のうち、両の腕と足。そして腹には植物の蔦めいたものを意匠化された刺青が刻まれていた。  生贄とはリリアであった。  数日に亘り満足のいく食事など与えられていないのだろう。痩せ細った腹部には肋骨が浮き出るほどの有様。元々痩身な彼女であれど、その衰弱ぶりは顕著であった。  素肌の色は蒼白。生気の類は一切感じられぬ。  リリアは時折、短くもか細き呻き声とともに微動をする。必死に命を繋ぎ止めんとしているかのように。  その度、周囲の景色に三つの変異が生じた。  第一の変異は電光であり、それは左方の中空より生じていた。二重、或いは三重の円形の黄色き光を伴って現れては、乾いた音とともに消失する。  第二の変異は火炎。それは右方の中空より生じていた。無より小さな赤き旋風が生じたかと思うと、それはこの地に吹き荒れる強風によって掻き消された。  そして第三の、即ち最後の変異は霧氷。これは彼女の足元にて吹いていた。凍てつく冷気は、銀の祭壇の表面に薄き氷の層を作り上げ、そして、リリアの体温によって温められたそれは瞬く間に霧消した。  各々の変異、その規模たるや微々たるものであったが、三種の変異が同居しているこの光景は、自然の法則上において大きな矛盾の上に存在する現象に他ならなかった。
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