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村の外れに建つ中学校の近くに、「黒の森」と呼ばれる鬱蒼とした針葉樹の森がある。
昔、小さな処刑場があったといわれる暗く湿った森は今では立ち入り禁止となっており、村の住民たちはあまり近寄ろうとしない。季節に関わらず、年中霧が立ち込めている。
好奇心を抑えきれない子供が時折、大人たちの目を盗んで忍び込むが、出てきた子たちは「普通の森だった」と拍子抜けした顔で語る。
しかし、森の奥にある湖まで足を運んだ子どもたちは皆、口をそろえてこう続けた。
「――――でも、森の奥の湖には“なにか”いる」
アンは自分のロッカーを少しだけ開いて中を覗くと、小さくため息をついた。
無断で漁られ、無残に荒らされたアンの私物たちは全て、彼女がタンブラーに入れて持参した紅茶で濡れていた。わずかな隙間から紅茶が流れ出し、小物や筆記用具がこぼれ落ちてくる。
床にしゃがみ、散らばった私物を拾い、タオルで紅茶を拭き始めると、さざ波のような笑い声がアンを取り巻いた。
「タンブラーのフタはきちんとしておかなきゃ。他の人の迷惑でしょ、アン」
背後からひときわ高く響いた声に、アンの手が止まる。
ロッカールームにいる全員に背を向けたまま、小さく呻くように声の主の名を呼んだ。
「サラ」
アンが振り向くと、勝ち誇ったような顔で彼女を見下ろす少女と視線がかち合う。
アンのウェーブのかかった赤毛やこげ茶の瞳とは対照的に、まっすぐに伸びたブロンドと目の覚めるような青の双眸。ニキビやそばかす一つ無い、なめらかな白と桃色の肌。
金髪碧眼の少女――――サラを向かって振り向くことが出来ず、アンは背中を丸め、視線を拒絶するように俯(うつむ)いた。
自身の怯えや卑屈な態度が相手の神経を逆撫で、嗜虐を煽ることを、彼女は薄々自覚してはいた。
しかしそれでも、アンはクラスメイトと対面すると体が竦(すく)んでしまう。それは彼女の意志ではなく、条件反射の一種だった。
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