59人が本棚に入れています
本棚に追加
/42ページ
***
「はああ~? 担当変わって欲しいって、どういうことですか??」
私は、デスクの上の電話を握り締めて、声を荒げていた。
「うーん、まあ、いろいろ大人の事情ってやつがあってね。仕方ないのよー。
とりあえず、詳しい話は今夜するから。
えっと~、例のBarでいいか。じゃあー7時に! よろしく!」
いつものように、森さんはこっちの返事も聞かずに電話を切った。
ったく! なんであたしが!? もう、嫌な予感しかしないんですけど……。
そして、約束の時間7時ピッタリに【Twilight】の重厚なドアを開けると、すぐ目の前のカウンターに森さんが座っているのが見えた。
「あら! 中山さん、時間ぴったり! えらいわ~。
さっ、さっ、こっち!こっち!」
嬉しそうに手招きして、モスコミュール・ウォッカ多めをオーダーしている。
何? この待遇。ますます嫌な予感しかしないんですけど?
私がツールに座ると、目の前にモスコミュールがしずしずと置かれた。
「さっ、さっ! 乾杯しよ!ねっ」
「森さん、騙されませんよ。一体何に乾杯なんでしょう? どういうことか、きちんと説明してもらわないと、飲めませんからね!」
凄む私に、森さんは困った風な微笑を携えて、ツールから降りた。
そして、彼女の向こう隣りに座っていた男性。外国人? を手の平で指して紹介した。
「中山さん、こちらはユーリー。ロシア人男性なんだけどね。今度、中山さんが担当してもらいたい『前川いちご』先生なの。
ユーリー、こちらは中山明子さん。電話会議で面識あったかしら?」
外国人(あ、ユーリーだっけか?)は頷いて、完璧な日本語の発音で「よろしくお願いします」と言って、ぺこりと頭を下げた。
あ、あの声だ。男性にしては、少し高くて甘い。バリトン。
じゃあ……、この人が、前川いちご先生なの?
私の脳みそは、ピタリと活動を放棄したみたいに動かなくなった。人はこのような状態を放心状態という。
「中山さん大丈夫? 驚かせちゃったかしら」
森さんは、してやったりの顔で私を覗き込んで、手をひらひらさせた。
「前川先生の本名と姿が秘密だっていう理由わかったでしょー? この事社内でも内緒だからね?」
嬉しそうに笑って、ツールに座りなおした。
最初のコメントを投稿しよう!