第1章

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 それを恐怖、と認識した時点で、『恐怖症』という概念は立ち上がる。  あたかも指先から心臓に向けて血がめぐるのに似て、恐怖が浸透しきった時点で人の認識と理解は割合、もろいものなのである。  何の縁があってか、その男は水場に恐怖感を覚えるようになった。  恐らくはとある事故(山間部での遭難事例だが)で全身水浸しになっていたことが関係しているだろう、とは言われるが。  元より人とかかわることをあまり好まない男にとって、水場に近づくことが恐怖に繋がる生活が如何に苦痛であったかは考えるに難くない。  流れる水も、滴る水も、彼にとってしてみれば等しく恐怖だったのだから大変な苦痛だったことが伺える。  水の中に何を見出したのかは分からないまでも。  偏執的な恐怖をなんとかすべしと彼が医療心理学に基づいた努力をしていたことは資料から散見されている。  それでも尚、彼にとっての恐怖というものは解消されなかったようだが。  家事を代行する者がおり、生存自活に関しての一定の協力を得られる近現代の環境であったから、彼はそれなりに上手くやっていたほうなのだろう。  ……とある思考に至るまでは。  彼がどのような思索に至ったのかは、彼自身の肉体に刻まれた無数の自傷痕が明らかにしている。  要は、恐怖の対象が外部ではなく内部に。  滴る水のそれではなく、流れる体液に恐怖するようになったのである。  体内の『水』が自らを蝕む感触。恐怖感を言葉にできないことへの苛立ちがそのまま鬱屈した自傷につながったのは割と、当然の帰結であるといえるだろうか。  増える傷、流れる血への恐怖が増してきた彼は、しかし恐怖に対して屈服することをよしとはしなかった。  彼の自宅に残されていた書物の量から、その恐怖を覆す手段を熟考していいた事実を察するに難くない。  壁に染み付いた没薬と漆の匂い。  絶え間なく吐き出された内容物は既に塵にすら残らず、跡もない。  その『発想』から幾日幾年かけたかは、分からないまでも。  彼はそこで、ひとつの木乃伊として。  一滴の水も見ぬまま座っている。  彼自身が畏(おそ)れとして。
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