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「まーそんな広くないけど」
重々しい玄関の扉を開ければ、そこには彼の部屋と呼べる空間が広がっていた。
一一他人の、匂い。
わずかに鼻をつくその匂いは新鮮で、決して嫌いではなかった。まあそんな言葉も目の前の人物を目にすると呆気なく消えてしまうんだけれど。
「びしょびしょで気持ち悪……風呂」
彼はぶつぶつと呟きながら靴と靴下を脱ぎ、すぐに風呂場らしき所へ消えていく。
「え、ちょ、」
あっという間の出来事に付いていけず、間抜けな声だけが浮遊した。そしてほんの数秒空いたあと、彼は風呂場から手と顔だけを出し、なにかを此方に投げた。
「わぷっ」
突然のことで反射が遅れてしまい、彼の投げた『何か』は俺の顔面に激突する。しかし痛みはなく、柔らかい感触とほのかに香る花のような甘い香りが鼻をかすめ、それがタオルであるということに気付くのにそれほど時間はかからなかった。
「あ、部屋上がっといていいよー」
風呂場の奥から聞こえる彼の声。それから間もなく水を流す音が響いた。
上がってていいって言っても……。
なんとなく入れず、その場に踏みとどまる。
一一どうしたらいいんだよ。
玄関に立ち尽くし、呆然とする。
流れで来てしまったけれど、まさか嫌いな人の部屋に上がることになるとは……。
濡れたシャツが肌にくっつき不快だったが、そんなことを気にしていても仕方ないのでとりあえず部屋の奥を見回した。
「…………」
なんというか、一言で表すなら『殺風景』。
良く言えばシンプルとでもいうのだろうか。
とにかく物という物が少なかった。必要最低限のものだけ揃っていて、ほかは切り捨てたような、そんな部屋。
(寂しい部屋……)
ワンルームのアパート。
ひょっとして、一人暮らし?
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