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「雨……」
灰色に濁った空から降ってくるソレを見ながら、ぽつりと、自分にしか聞こえないような細い声で呟いた。
昇降口で上履きから靴に履き替え、帰路に着こうというところでぴたりと足を止める。
しとしとと降り注ぐ雨。
おまけに風も強く、雨にも若干の傾きがかかる。
「……」
雨はあまり好きではない。
特に深い意味はないが、ただ単純に、濡れたり荷物が増えたりするのが嫌だから。暗い空を見ると胸がきゅっと締めつけられて、憂鬱な気分になる。それだけだ。
一一ああ、それと。
「あ、魚屋さん」
雨の日は決まって嫌なことが起こる。
憂鬱な天気とは打って変わって、陽気なトーンで声をかけてくるその人物。
少し目に掛かるくらいの前髪を横に流し、金髪までいかないが茶髪でもない明るい髪色。
つり上がった瞳と口端からは、どこか妖艶な雰囲気さえ感じさせる。
「…………なに」
横から覗き込むようにして話しかけてきたその人物を、視線だけで捉えて無愛想な言葉を投げる。
するとそんな俺を見て満足気に笑う。
俺は、この人が苦手だ。
一一苦手?
いや、ちがう、『嫌い』。
はっきりと言える、この人が嫌いだと。
同じ商店街の八百屋で働いているこの人物、もともと人の名前を覚えるのが苦手な俺は、同じクラスでありながらこの人の名前を知らない。
相手が俺の名前を知っているかも分からない。
相手が俺のことを『魚屋』と認識するように、俺自身も相手のことを『八百屋』と認識している。それだけ。
それ以上の認識は必要ない。
むしろ、知りたくないと思ってしまう。
この人が嫌い、だから。
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