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「はっぽうびじん?」
生きているだとか死んでいるだとか、三軒先の花屋で盛り声が聞こえてきたとか、先月行方不明になったあの子の消息だとか、その子の腕には前々から傷がついていたとか、えとせとら。
吸って吐くように視て聴いて触って嗅いで賞味して中90%を破棄する有象無象どうでもいいニュースより、私は目の前に候うとしている大問題を迅速に対処することを求められていた。
「はっぽうびじんねぇ。なんかあったよね。そんな言葉。たしか……誰にでも良い顔する人のことだっけか」
「そう。私のことよ」
「否定的なニュアンスなの理解してるか?」
「違うわよ。あなたを貶しているのよ」
「やられた」
酒がない。正確には、グラスの中の酒がない。
農奴は土を耕し、子供はみな黒板へ向かい、兵隊は来るべく時の為に鍛錬に精を出しているというこの白昼に、私は食堂の片隅に居座り、大量生産にたやすい、薄っぺらい味の酒瓶をあけつづけていた。
私たちの間では、安価で大量に購入できる酒類を『国家臭い』と笑う。それ特有の不快臭というか、「国に酔わされている」という感覚が何よりも不愉快で、それを飲まそうと大げさに投げ売る量販店が文字通り「鼻つまみもの」だからだ。
自由を! 自由を! と隷属者らは謳う。鎖に縛られ、薬を分け与えられず、腐りゆくように破棄されては、宿怨(しゅくえん)で満たされた瞳孔を我々に向けて息絶えていく。
奴らの目は節穴だ。
最も自由らしさを感じる自由。それは、国家管理下の自由を謳歌することにある。
それは不自由ではないのか、と考える限りは一生束縛から解放されることはない。だから隷属者共は隷属者のままなのだ。
連中は、われわれに縛られているのではなく、自分自身を縛り付けているにすぎない。
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