第1章  甘い声、それは罠

7/20
前へ
/20ページ
次へ
再び歩き出し、アパレル通りを通り抜けた。 駅が近づいて来て、カフェが多い通りに来たとき、違和感に気がついた。 いつも仕事帰りに寄っていた、大きな二階建てのカフェの前に、レトロな看板が出ているのだ。 恐る恐る近づき、看板の前に屈むと、白い文字がはっきりと見えた。 Atelier Enbellir 「アトリエ、アンベリール」 ファッション業界にいる、多少のフランス語は読めるようになる。 読めるだけで、アンベリールの意味まではわからないけれど。 アトリエ。服を作るところ。 看板のすぐ近くに、地下に続く階段があるのだ。 てっきり、ここの地下はBARか何かが入っているのかと思っていたのに。 いつも来ていたカフェの地下が、アトリエだったなんて。 (ノーマークだったなぁ) その時、私は何を思ったのか、何の迷いもなく地下に続く階段を降りた。 近代的な漆黒の大きな扉には、小さな文字で『atelier enbellir』と刻まれている。 片手でノックをすると、扉中に振動が響き渡るだけで、中から応答はない。 扉に両手をついて、そっと力を入れると、その扉は鈍い音を立てながら少しだけ開いた。 (鍵かかってないじゃん。入っちゃえ) 扉を大きく開けると、ふわっと甘い香りを乗せて、中から風が吹き抜けていった。 ぼんやりとした明かりがたくさん灯り、レトロモダンな雰囲気のアトリエだ。 中に入ると、とても広くて、不思議な世界が広がっていた。 大きな空間のいたるところに、布、図面、材料、テーブル、ミシン。 そして壁には、不規則に配置された5つの扉。 入口から見て、右にひとつ、左に二つ、奥に二つ。 コツン、コツンと歩くたびに音を立てるコンクリートの床。 奥へ入っていくと、私は思わず息を飲んだ。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加