第1章

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「湖に行こうよ。」 「行かないよ。」  いつもみたいに蝶谷君の自転車の荷台に乗っていたけれど、私は彼にそう答えて飛び降りた。 「なんで。」 「お母さんが、危ないって。」  不満そうに蝶谷君は頬を膨らませている。それを放っておいて回れ右して歩き出すと、しぶしぶと私の後を追いかけてきた。  この村に私と年の近い子供は、蝶谷君しかいない。 「蝶谷君のお母さんもあそこで亡くなったの?」 「そうだよ。」 「あの蝶の標本、蝶谷君のお母さんに似てたね。」  くすくす、と蝶谷君の笑い声が聞こえた。振り返ると、蝶谷君は満足そうな顔で笑っている。 「橘さんは何色が好き?」 「なんで。」 「ピンクと赤と青の額縁を買ったんだよ。標本用の。」 「そうなんだ。」  駅に来て、蝶谷君は自転車を駅舎の横に置く。無人改札をくぐって、二人並んで電車を待つ。ひらひらと、どこからともなく蝶が飛んできた。 「あのさあ。蝶谷君て私のこと嫌いなの?」 「大好きだよ。」  即答だった。頬を赤く染めて、蝶谷君は大きく頷いていた。 「昔飼ってたハムスターとか金魚とか犬とか猫とかも?」 「うん。」 「でも一番蝶が好き?」 「うん!」  ジリジリとホームのベルが鳴る。もうすぐ電車が入ってくる。 「蝶谷君さあ。」 「橘さん、見て。」  蝶谷君は背負っていたリュックをおろして、中から標本を二つ取り出した。 「これ、奇麗にできたんだ。また雑誌の人に褒められたんだよ。もう一度僕の写真が本に載ったら、見せてあげるね。」  見せられた蝶の羽の模様は、あの湖で沈んだ二人の男の顔によく似ていた。 「橘さんは、赤とピンクと青、どの色の額縁が好き?」 「どれも嫌い。」  今日はこれから、蝶谷君と山の向こうの駅で遊ぶ。  この村には蝶谷君しか遊ぶ友達がいないから、これからも蝶谷君と二人、大人になるまでずっと一緒に過ごしていくんだろう。
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