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「あそこの沼でまた人が死んだんだって。」
数日後、あの事件は地元の夕刊に載っていた。結局二人は助からなかったらしい。
「蝶谷君、よく行くんじゃない?蝶がいっぱいいるでしょう?あの沼。あなたも一緒に行ったことないの?」
お母さんは心配そうに私に新聞を見せてくれた。
あの後、私は誰にもこのことを話さなかった。とにかく怖くて、恐ろしくて、これは秘密にしないといけないと思ってしまった。藪に突っ込んであって自転車に飛び乗って急いで山を下ったから、救急車を呼べば間に合ったかも知れない。でもそれもしなかった。とにかく忘れようと思っていた。
「湖じゃないの?」
「沼よ。底なし沼。一見奇麗だけど、底が深くて柔らかい泥が詰まってるから、大人くらいの体重があると沈みきっちゃうのよ。」
村では有名なんだからね、とお母さんは私に言い聞かせるように言う。
目を閉じると、あの日の光景がまざまざとよみがえる。湖…沼に消える人間。飛ぶ蝶。とても静かで、奇麗で、怖かった。
「蝶谷君にも気をつけるように言っておきなさいよ。あの家の人、よく出入りしてるみたいだから。あんなことがあったのに、また行くなんて。研究者は怖いもの知らずなのかしら。」
「私は一度しか言ったことないけど、蝶谷君てそんないつも行ってるの?よく知ってるね。」
「何言ってるの。蝶谷君のお母さんがあそこで亡くなったじゃない。」
私のまぶたの裏に跳び続ける蝶の間から、銀の麦わら帽子をかぶった蝶谷君があの標本を持って微笑んでいた。
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