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北方。
絶えず地吹雪の吹き荒れる、極寒の山岳地帯。
天を常に灰色の重苦しい雪雲が支配し、降っては舞い上がる石のように硬い氷の粒が、万物何人たる者の侵入をも許さない絶界の地のその一角に、一転深く、長く切り立つ大地の傷跡のような暗黒の峡谷があった。
場所によっては300メートル以上も切れ込んでいるこの峡谷はほの暗く、また、地上とは相反して物音一つとしてない。周囲を包み込むのは不可思議な静寂と、そして、僅かばかりの生命の気配。岩間を流れているはずの小川は凍りつき、しかし周囲には大量の蔦類が根を張り、崖の中腹以下全ての岩と言う岩、段差と言う段差をことごとく覆い尽くすという、摩訶不思議かつ不気味な光景が広がっていた。
その幽玄の霊谷の最深部。頭上を吹き抜ける吹雪が幻想的な響きを成す、草根生い茂る岩棚のその下に、大きな屋敷の面影が見えた。中世の欧州を髣髴とさせるバロック様式の建築物なのだが、その全容は壁を覆いつくす濃緑の蔦の下に隠れており、確かめることが出来ない。かつてこの地方一帯を治めていた貴族の館の成れの果てである、との事だが、その当時の栄華は見る影も無く、今では時折谷を訪れる薬草摘みが、しばらくの休息所として利用するのみである。この手の屋敷や古城に付き物の根も葉もない怪談話は不思議と聞かれず、地元の人々からは一種の親しみを持って「草迷宮」と呼ばれているのであった。
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