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少し前に他の村人が訪れたのだろう、重厚な大扉に纏わり付いているはずの蔦が不自然に切り払われ、下層に隠れていた豪奢な装飾が露わになっていた。男は顔の位置にある、その獅子の顔を模した取っ手を引き、屋敷に足を踏み入れる。と、時を同じくして、思わず己の目を疑い、絶句して立ち尽くすこととなった。
フレスコ画が施された高天井に、煌々と輝く大型のシャンデリア。床には、一点の汚れも認めることすら出来ない、紅のカーペット。
広い玄関には、仄かな金木犀の香りが漂っていた。そこから一直線に続く、15メートル程もある長い廊下の突き当たりでは、身長の二倍はある、巨大な柱時計が静かに時を刻んでいる。男は仰天していた。「草迷宮」に人が住んでいるなどという話は聞いたことも無かった。ましてや、数百年間も空き家だったこの屋敷である。改装ともなれば、計らずとも大きな噂になるに違いない。であるにも拘らず、その様な類の話など風の噂にも聞いたことはなかった。左右を見渡すと、左手にはどっしりとした重厚なつくりの木製の机が佇み、右手には大判の絵画――どこかの屋敷を描いた、暗く大きな油絵が飾られていた。男は魅せられたかのように、その館の絵画を凝視した。高くそびえる塔のような分館、濃い灰色の外壁面、豪華で流動的な形状の屋根。そのすぐ背後には、額縁に入りきらない程の断崖絶壁が迫っている。はて、どこかで見たことがある風景だな、と男が訝しがり、思念に暮れているその一時、不確かな憶測が確信に変わるその僅かに前に、
「いらっしゃいませ。」
一声、思いもよらぬ人の声が男を飛び上がらせ、記憶の追走をやめさせた。
頭頂から足先まで、白と黒のモノトーンで統一したメイドであった。年齢は20代半ば程、細身、黒髪は肩より下まで延びている。切れ長の眼は優しげだが、瞳に光が無く、一見の笑顔の下にある本心は、全く読み取る事ができない。阿呆のように開口し、驚きの余り目を点にする男に向い、メイドは微笑みかけた。
「夕食の準備が整っております故、ご案内いたします。」
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