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男はふと、何故このような仕事を選んだのか、とメイドに問うた。人々の記憶を預り、一体何をしようというのだ、と。メイドは振り返り、言った。
「何をしよう、とは考えておりません。」
ただ、と続ける。
「記憶、と言う物は、時に人々を過去に縛り付けます。それはどのような類の記憶でも、同じことでございます。記憶とは、一種の『足枷』であります。人々の行動を限定し、可能性を亡き物にしてしまう事も多々ございましょう。我が『ご主人様』、そして僅かながらではございますが私は、そのような『足枷』に苦しむ方々を解放するお手伝いをさせて頂いているのです。それが商いに出来るのならば、これ以上の幸福はございませんから。」
光源、ただ華麗、また悲壮に輝く。大樹は重々と大理石の床に根を下ろし、頭上幾十メートルへとその枝先を伸ばし、蔦を垂らす。数千の『記憶晶』は幽玄の輝きを放ち、塔の頂上までを煌々と照らしていた。
「これは、今宵の記念でございます。」
メイドがぽつりと呟き、取っていた男の手に、なにやら大きな粒を持たせた。クルミ大の、何かの種のような、つるりとした手触りの、重く、硬いもの。
「『齢樹』の種でございます。寒さの厳しいこの地方では、このように屋内でないとなかなか芽生えませんが…是非、お持ちくださいませ。」
そして両手を体の前で重ね、深々と頭を下げ、
「またいつでもお越しくださいませ、お待ちしております。それと、」
漆黒のメイドの瞳に、一瞬、光が宿ったように見えた。
「…貴方様に、永久の幸福があらんことを。」
―――暗転。
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