この人だ!運命の人!!

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 運命の人との出会いはあるのだろうか?  イエスともノーともいえるくらい人生経験が豊富になった今、言える。  答えは「イエス」だ。  私は、このとき29歳でとても溌溂としていて「あなたは楽しみがあっていいわね。」「ひとりで十分生きていけるよ。」と思わず誰もかれもが言いそうな楽しく、人が羨ましいと感じるような自由な生活をアメリカで送っていた・・・。  果たして実態はどうであったのか?  私は当時29歳でも大学生という学生である身分を利用して短期の、それは6カ月のJ1と呼ばれる就労ビザであったけれども、アメリカのカリフォルニア州でアルバイトをしていた。週給300ドルのカーニバルでのチケット売りがメインだった。  これらの仕事は東京の池袋にある旅行代理店が斡旋してくれた。アメリカのちょっとよく組織が不明なNPOの活動によって仕事が紹介されたのである。  カーニバルって何だろう?と日本に普通に住んでいる私たちも容易には想像しにくい。たとえば平たく言えば移動型のアミューズメントパークと言えばよいのだろうか?  サーカス?って聞かれることも多いのだがカーニバルにいわゆるつきものなのは遊園地にある観覧車とかメリーゴーランドとかジェットコースターとかティーカップやらカーレースやら、射的の屋台やゲームやアスレチックやらそんな類のものがごちゃっとあって、アメリカのしかもカリフォルニア州の田舎町の果てしなくだだっぴろい公園に突如として現れ、組み立てられる移動型アミューズメントパークのようなものだった。  もっぱら働いている人たちは低所得者で階層も低く、更生者などもいた。差別されているネイティブアメリカン、ようするにインディアンであったり黒人や中南米からの移民も多かった。出稼ぎにくる貧困国のヨーロッパの学生もいた。それらの国はポーランド、スロバキア、ブルガリアであったりした。一部ベルギーからの学生もいたが彼らは決して貧しい出稼ぎ大学生には見えなかった。  では、日本人で初めてこのカーニバルに送り込まれた日本人の私は何だったのだろうか?私の語学の不得手がおそらくNPOなるものが判断する上でいちばん適する仕事、カーニバルを数あるサマージョブの中から選んだのだと解釈する。  私の熱い恋はこの夏始まるとはそのとき心にも思わなかった。  それほど私は恋にうとい人生だった。
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