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「私は存在しないし、存在してもいない。だから、わざわざこんなことをしなくたっていいんだよ?」
幼馴染のこいつは、自分自身の存在をうまく掴めていない。自分が本当にここにいて、今を生きているのか。そんな疑問への強い衝動が、こいつには突如として襲い来るのだ。
そうしてこいつは、自分がこの世界にいることを反証しようと、不確実なものを確実なものに変えようとする。
毎回、程度や方法は違うものの、それのせいで俺は苦労させられている。
ただ、解決方法は至って簡単なもので。
「お前はここにいるよ。沙季」
名前を呼べばいい。こいつの名前こそ、沙季をこの世界に存在させるキーワードと言っても過言ではない。
名前は強い力を持っているのだろう。
「うん。……いつもありがとうね。来るとは思ってなかった」
感謝の気持ちはこちらも素直に受け取っておくが、後半は否定させてもらいたい。
「嘘だな。俺は教室の扉を開けてから、一言も言葉を発しなかった。にも関わらず、お前は“あなた”と俺のことを呼んだ。つまり、俺が来ることはわかっていたんだ」
沙季は華奢な肩を震わせ始めた。
「うん。……ごめんね」
少し躊躇ったが、俺は沙季の肩に両手を載せた。
「別に責めているわけじゃないんだ。お前のこれが病気だと喩えれば、俺は薬だ。薬なんてものは、病気がなければ存在しないものなんだよ。
つまり、お前がこんなんだから、今の俺が存在していると言えるし、俺はこんな自分が嫌いじゃない」
ただの自己満足だが、人のために動くことができる自分というのは、価値のあるものだと考えているから、そう思えた。
「だから、気にするな。お前はいつまでも存在し続ける。俺がいる限りはずっと」
人は必ずしも一人では生きられない。それは支えがないからだ。なんでもできる人間がいたとして、その人間は地球上に一人で生存することはできないだろう。
人の存在だって近いのかもしれない。人間一人分の存在は、いとも容易く消えてしまう。誰にも認識されなければ、そうなるのだ。
「本当に、ありがとう」
細く呟いた楼閣の姫は、俺に手を差し出した。言葉だけでなく、触れ合うのもまた一つの手段か。
いつまでもこの関係が続くと、その確証こそ朧げなものだが、今ばかりは存在が希薄なこいつの感謝を、しっかりと受け止めようと思った。
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