扉を開けて

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教室の戸を開けたら、そこには、あの頃の私がいた。 燦々と輝く陽の光を浴びながら、友達とたわいのないお喋りに興じる私。 チョークの粉でうっすらと汚れた黒板、不揃いに並ぶ机、窓の外に拡がる青空。 涙が頬を伝う。 ああ、そうだ。この頃は、何もかもが楽しくて…でも勇気がなかった。 友達と笑う私の肩をポンと叩く男子生徒。 私の初恋の相手。 サッカー部でレギュラー。校庭での練習姿をよく教室の窓から眺めていたっけ。 彼を好きな女子はたくさんいた。 内気な私は告白どころか自分から声をかけることもできなかった。 朝、ああして肩をポンと叩いて挨拶してくれる彼に「おはよう」って言うのがやっとで。 それがまさか、彼の方から告白されるなんて思ってもみなかった。 動揺した私は返事もできずに逃げ出して…それで終わりだった。 あれから十年が過ぎて、私は会社に入り、鬱々とした日々を過ごした。 地味で内気な私には素敵な出会いもなく、友達の結婚式に呼ばれてはため息の日々。 そして、今日。 私は交通事故に遭い、生涯を終えた。 最期まで地味な一生。 この光景は、私が一番楽しかった頃の光景。 きっと神様が見せてくれているんだ。 それともこれが人生の走馬燈…ってものなのかしら。 …そうだ。この光景。 間違いない。この日だ! この日の放課後、彼が私に告白してくれた。 私に伝えなければ。 逃げちゃダメ!逃げちゃダメだって。 そうすれば、きっと私は彼と付き合えた。そうしたら、こんな淋しい人生にはならなかったはず。 伝えることができれば。もっと勇気をもっていれば、幸せな未来が待っていたはず。 私は近づく。あの頃の私に。 耳許で必死に話しかけた。 「いい?彼に告白されても逃げちゃダメ。勇気を出して!」 私は、驚いた顔でキョロキョロと見回している。 声は届いたみたいだけど、姿は見えないようだ。 ふいに景色が揺らぐ。 ああ、人生を変える最後のチャンスが終わっていく。 懐かしい教室の景色が消えていく。 「母さん、笑ってますね」 青年は隣に立つ父親に語りかける。 父親は頷きながら、ベッドに横たわる老いた女性の髪をそっと撫でる。 「ああ、穏やかな顔だ。きっといい夢を見ているのだろう。母さんのこの穏やかな笑顔…私が告白したあの日のままだ」
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