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傘浜市に住む叔父に、
「これでお前の好きなことをすればいいんじゃなぁーい」
――いい年をして、何でこんな話し方をするんだ?―― と、数年前まで思っていたが、今では慣れてしまった。
叔父の言う『これ』とは、トランクに詰められた札束の山。
――相続税とか贈与税はどうなってるんだろ?――
「あぁ大丈夫ぅ、税金のことなんて気にしないでいいよぉー、
ちゃんと処理してあるからねぇー」
叔父の特殊能力的な考えたことを言い当てられることにも慣れていた。
「やりたいことがあるんだよねぇ?
自分ができなかったことを人に押し付けるってことぉー」
半分当ってはいるが、この言い方に腹が立つ。
が、この叔父には頭が上がらない。
私の母はこの叔父の妹だった。
父と母は私がものごころつく前に交通事故に巻き込まれて他界していた。
幼少の私と姉を引き取り育ててくれた。
今、目の前にいる人は、叔父というよりも父に近い存在た。
普通なら自分の子として育て、本当の親は?などの絡みでドラマチックな展開になるはずなのだが、まるでそんなことはなかった。
最初の記憶は幼稚園のころだ。
「言っておくけど、祐馬のお父さんは私じゃないからねぇ、
私は叔父さんだよぉ」
幼稚園児の私は、わけがわからなかった。
いたいけな幼児にこんなことを言う保護者がどこにいるのだろうか。
その当時は叔父のことを、「パパ」と呼んでいたらしい。
しばらくはパパと呼んでいたそうだが、小学校の高学年になって、「叔父さん」に呼び方が変わったようだ。
この叔父は、几帳面なようでそうでもなく、マジメなようでそうでもない。
特にひとつのことにこだわったりもしない。
やさしいのかそうでないのかもわからない、全くつかみどころがない人物だ。
子育てとしては基本放任、思っていたことを全部言い当てるので、常に先手を打ってくる。
女性にはさぞモテることだろうな、などとも思うことがある。
育ててもらった恩には報いたかったので、反抗することもなく今日まで生きてきた。
反抗するにも考えていることが筒抜けなので、どうしようもなかったのだ。
少し冷めた考えを持った少年時代を過ごしたのはこの叔父のせいだろう。
叔父は、大学を卒業してからも就職のことには一切口出しせず、結局自分で決めた。
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