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教室の戸を開けたら、そこには海があるのだ、といるか君は言った。
いるか君の名前は、入山遥という。学期の最初の頃は、いりやまはるかの頭と終わりをとっていか君と呼ばれていたが、誰かがいかは格好悪いよと言ってからはいるか君と呼ばれている。
いるか君は、クラスの人気者だ。足も速い、頭もいい。わざと可笑しな事を言ってみんなを笑わせることだって出来るし、女の子には優しい。おまけに見た目も格好いいのだから、みんなからとても好かれていた。
そのいるか君が僕に話しかけてくれたのは、夏休みが明けた日の放課後のことだった。
「おい、クジラ」
僕の名前はくじらではなかったし、いるか君の態度も決して友好的なものではなかったけれど、僕はぱっと顔をあげてなあにと返事をした。いつも教室の隅で小さくなっている僕は、今まで誰にも話しかけてもらえていなかったのだ。話しかけてくれたことに、涙が出そうなほど嬉しくなった。だからできるだけいるか君に好印象を与えるために頑張ったのである。
「お前今暇か?」
暇だよ、とこくこく首を縦にふって答えると、いるか君は心底嬉しそうな顔をして僕の隣に座った。
「いるか君は、暇なの?」
答えはわかっているけれど、一応きいてみる。僕の都合に合わせて教室に残らせるのは気が引けるのだ。
「んー、まあ暇だよ」
いるか君は苦笑しながらそう答えた。
その日は結局、五時のチャイムが鳴るまで教室でいるか君と話した。始めはいるか君の態度に何か壊れやすいものに触るようなおっかなさがあったが、話すにつれて口調こそぶっきらぼうなものの、だいぶ打ち解けてくれたみたいだった。チャイムが鳴ったとき、僕がそろそろ帰らなきゃまずいんじゃない?と言うと、いるか君はとても嫌そうな顔をした。僕はそれがまだ話していたいと言っているようで嬉しかったけれど、いるか君の家のことを考えると、いるか君がとても心配になる。いるか君はじゃあな、と言って教室から出ていった。
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