1人が本棚に入れています
本棚に追加
いるか君は今年の夏、一度も水泳の授業を受けていない。毎回体調不良で見学をしていた。普通なら先生も疑うべきだけれど、いるか君は普通の体育の成績がいいし、勉強も出来るから先生のお咎めはない。でもたまに、友達からいるかまたお前見学かよー、狡いぞーと囃し立てられているのを見かける。そういうときいるか君は決まって、いやー俺風邪引きやすいんだよな、と言っていた。すると友達は、あーだからいるかはいつも長袖長ズボンなのかーといって納得している。
いるか君だって好きで見学している訳ではくて、本当はとても泳ぎが上手で、ずっとプールに入りたいと思っているのを僕は知っている。しかも僕に話しかけるまでは、見学の間喋る人がいないからいつも退屈そうにえんぴつを回していた。僕もそれを見ながら真似して回してみたりしたが、いつも失敗してしまっているか君にぎょっとされていたのを覚えている。
「お前は毎晩、ここで泳いでるのか」
唐突にいるか君は切り出した。僕が黙っていると、いるか君は秘密の話をするみたいに、目をきらきらさせて話しはじめた。
「教室の戸を開けたら、そこには海があるんだぜ」
そのとき、教室が温かい水に満たされた。まわりでは磯巾着や珊瑚が教卓や椅子にびっしりと付着し、赤や黄色の名前のわからない魚や、半透明の海月が回りを遊ぶように泳いでいる。カーテンが波に合わせてゆたい、窓ガラスから光が差し込んでゆらゆらと床に綺麗な模様を写している。いるか君がびっくりしたようにぐるりを見回し、僕をみて嬉しそうに笑った。そのまま話を続ける。
「俺な、夏休みにここに忘れ物を取りに来たんだ。この教室、6-2な、ここのドアを明けたんだ。そしたら、そこはこんなふうな海だった。俺はびっくりしたよ。白い優しそうなクジラが泳いでたんだ。俺はそいつをずっと見てた。綺麗だったからな、見惚れたのさ。で、話しかけたんだ。俺も泳ぐのが得意なんだ、一緒に泳ごうってな。でもそいつ、反応してくれなかった。目がな、死んでたんだよ。俺はそこで怖くなってさ、一目散に教室から出た。どうやったんだかわからないが、ものすごいスピードでそこら中泳ぎ回った。今思えば夢みたいだったな、俺が俺ではないような、俺から俺が抜け出しているような感覚だ」
そこまで話し終わると、周りはいつもの教室に戻っていた。いるか君はまだ続ける。
最初のコメントを投稿しよう!