第14話 水辺の男の子

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 もともと枕が変わると寝付けないたちだ。  近くに他人の気配があるだけでも落ち着けないし、あんなこともあってなおのこと眠りにつくことができなかった。  そっとひとりで起きて部屋の外へ出た。  食堂となっている大広間まで行けば自動販売機があったはずだ。  ビールでも飲もうか。  階下には先客がいた。  玄関から入ってすぐのところに使い古したソファーが置いてあり、ロビーといえるほどしゃれた空間ではないが、談笑スペースがある。  そこにひとりで濡れた髪もそのままにビールをあおっている女性がいた。  客ではなく、ここの女将だっただろうか。  首にかけた企業名入りのハンドタオルと、強めのパーマがより一層おばさん感をかもし出していた。  隆邦に気がつくと声を潜めて話しかけてきた。 「あら、学生さんグループの方だったかしら」 「はい。食堂になんか飲み物があったかと思って」 「あるわよ。お茶ならタダだからね」  見れば薄手のパジャマ姿のままで、慣れているのか客との遭遇にも恥ずかしがるそぶりも見せない。  礼を言って食堂へ向かった。  灯りが一つだけついていたが誰もいない。  その灯りの下に給茶機があった。  やっぱりお茶にしておこう。  ボタンを押して冷たいお茶を入れた。 「せんべいでも食べる?」  女将さんは缶ビールを右手に、おひつを小さくしたような菓子入れを左に抱えて隆邦を追ってやってきた。 「ああ、はい」  断りそびれてしまい、しくじったなぁと思いながら、女将さんが菓子入れをおいたテーブルに腰掛けた。  まさか熟女と夜更かしとは。  差し出された菓子入れをのぞき込む。  本当にせんべいしか入っていない。個包装された歌舞伎揚げのようなせんべいをひとつもらう。 「若い人って、あんがいそれ好きなのよね。ちょっと脂っこいから、私は普通に固めの醤油せんべいがいいんだけどね」  そういいながら、女将さんはビールだけを飲んでいる。  350mlを一缶空けるのが毎日の楽しみってところか。  しかも、裏の方ではなく人目につくところにいるのだから、根っから人と接するのが嫌いではないのだろう。 「海水浴に来たの?」  あわよくば美女と知り合いたかったが、なぜだか熟女と差し向かいで話すハメになっている、とはいえず、「そんなところですね」と無難に応じる。 「実家がわりと近いところなんで、小さいころも、このへんに何度かきたことあるんですよ」 「遠浅だからいいのよね。小さい子がいる家族連れにはちょうどいい。安い宿も多いしね」  あの男の子のことを思った。  一緒に来た家族とはぐれて、ずっと待っているのだろうか。  幽霊だとしてもあんなところでひとり待つのは寂しかろう。 「迷子になっちゃう子とかもいるんですかね」 「海ではしょっちゅうよ。けっこう広い海岸だから、人も多いし、うちの子、そっちに戻ってきてないですかって、電話かかってきたり」 「今日はそんな騒ぎなかったですよね」 「さいわいと。何事もなく一日が終わって、これよ」  と、女将さんは商業用の顔を伏せ、少し赤くなってきた頬で缶ビールを掲げた。  もし、男の子が行方不明になっていたとしたら、パトカーや消防が出動して騒ぎになっているにちがいない。  サイレンの音も聞いていないし、カエルの鳴き声が聞こえてくるほど観光地にしては案外と静かであった。
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