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スイートホーム
*
ある住宅地の一角に幽霊屋敷と噂される古い空き家があった。
空き家の前を通った通行人が、夜な夜な垣根の隙間から半透明の老人が庭に立っているのを目撃するという。
よくある友達の友達が見たというパターンが多かったが、噂は拡散され、大きく育っていく――
**
「どっか、いい場所ないかな」
エイジは首筋をぽりぽりと掻きながら浮かない表情でつぶやいた。手にはコンビニの袋を力なくぶら下げている。
「んなとこ、どこにもないよ」
ババクンもコンビニ袋を指に引っ掛け、ふてくされた顔でエイジを振り返る。
「ねえねえ、さっきの見た? あの店員の顔。ああいうのを目むいて鼻むいて怒るっていうのかな」
チャメは笑っていたが二人と同じくやはり元気はない。
「俺らみたいなんがたむろするところが流行るってこと知らねえんだよ、あのクソ店員。俺ら集客してやってるみたいなもんなのにさ」
そう吐き捨てダンダはペットボトルのコーラをぐびぐびと飲み干し派手なげっぷをした。
中学二年生のエイジたち四人組は小学校時代からの仲良しグループだった。
放課後コンビニに立ち寄って駐車場の片隅でダベろうとしていたところを店員に見咎められ敷地から追い出されたところだ。
四人は世間から見て普通の良い子ではない。だが、手の付けられないワルというのでもない。
同じ学年に万引きを注意され店員を殴って逃げたワルがいるが、それに比べるとかわいい少年たちである。
「ああ、ほんと、どっかないかな。オレ達みんなで集まれて、大人たちにうるさく言われない秘密基地みたいな場所。そんなとこあったらさ、女子も誘ってあんなことやこんなこと。むふふ――」
「おいエイジ、お前バカか。そんな都合のいい場所どこにもねえし、俺たちが誘ってついてくる女子なんかよけいいるか」
ダンダはエイジのにやけた顔に水を差した。
「まあ、そうだろうけど――夢を壊さないでくれよ」
「ねえねえ、エイジの夢ってそんなでいいの?」
「じゃあ、チャメの夢ってどんなだよ」
「えー。僕の夢? うーん。わからん」
「おれも女子と仲良くするっていうの夢だなあ――」
「ババクンも? 二人ともそれが夢って悲しすぎるよ」
チャメが憐れむ。
「ははは、お前ら勝手に言っとけ。俺は彼女いるからな」
三人は一瞬、羨望の眼差しでダンダを見た後「ウソつけっ!」と叫んで一緒にツッコミを入れた。
それを笑ってかわしながらダンダが叫ぶ。
「もう、これからどこ行くよっ!」
***
背が低く痩せた初老の男がいた。おまけに貧相な顔立ちで、勤めていた会社では貧乏神とあだ名されていた。
その男が退職金でマイホームを手に入れた。
何を作っていたのかいまだ把握していない部品工場で毎日油にまみれて働き、上司に嫌われ同僚や後輩たちに無視され続けても定年退職するまで働きぬいた。
退職金は男にとって文字通り汗と涙の結晶であった。
もちろん大した額ではない。だが、中古の小さい家を購入することはできた。
男は自分がやっといっぱしの人間になれたと大満足した。
**
それぞれみんなの家にはいつも誰かしらいて、好き勝手に集まり騒げる場所はなかった。
エイジの母親はイラストレーターで常に家にいた。世間一般の大人たちに比べると寛容だが、年甲斐もなく家中を少女趣味全開にしているので、むさくるしい中二男子が四人も自宅に集まることをよしとしなかった。娘が欲しかったのにと堂々とエイジの前で嘆き、息子にかわいい彼女ができるのを楽しみにしていたが、最近はエイジの顔を見るとため息をつくようになり、友人たちを家に招くと露骨に嫌な顔をした。
ババクンの両親は学習塾を経営しており、みんなが集まると有無を言わせずまず勉強をさせるため、誰も近寄りたがらなかった。
チャメの母親は専業主婦で一人息子を溺愛していた。四人が部屋に集まると喜んでお菓子や飲み物を用意してくれ、集まるのに一番最適な場所だったが、チャメが注意するまで部屋を出て行かず、やっと出て行っても何度も覗きに来ては四人の話に首を突っ込んでくるので、みんなうんざりしていた。特にダンダが猫なで声でチャメの名を呼ぶ彼女を嫌っていた。
ダンダの家には母親がいなかった。だが、いつも酒癖の悪い酔っぱらい親父が大の字で寝ているので、みんなで集まるということができない。もとより長屋の狭い間取りにはダンダ専用の部屋などなかったが。
よって四人の集まる場所はコンビニの駐車場ぐらいしかなかったのだ。こうるさい店員がいない時はたまることができたとしても安住の地というわけにはいかない。
空き家か空き倉庫でもあれば。
エイジはいつも考えていた。しかも管理の行き届いていない忍び込める場所。
だが、自分たちに都合のいい所がそう簡単に見つかるとはとても思えなかった。
***
男が相談もなく勝手に購入したマイホームは彼の妻にとって満足のいく『我が家』ではなかった。
今は肥満して身をやつすこともなくなったが、見合い結婚した頃はまだ若さと多少の美を備えていた。そんな彼女は結婚から現在に至るまですべての意味で夫に満足したことがない。親戚に勧められたとはいえ、なぜ結婚してしまったのか後悔の連続で、惰性で離婚しなかっただけで夫に対して信頼も期待も持ち合わせてはいない。
なので家を購入するなど露ほど思わず、それほどの退職金が出るとも考えていなかった。
もし、事前にわかっていたならこんな条件の悪い買い物など止められたのに。
夫が購入してきた中古物件は小さくて狭く日当たりが悪いうえ、真横には汚臭と害虫の発生するドブ川があった。
生活の動線が全く考えられていない間取りで内装のリフォームも雑だった。
誰も購入しないようなカス物件をこのクソ夫はつかまされたのだ。自分に相談していたのなら、こんなことにはならなかったのに。妻のただでさえ高い血圧が上がる。
身の程知らずが。マイホームなんか夢のままでよかったんだ。金だけ持って帰ってきていたら慰謝料ふんだくってさっさと離婚したのに。
怒りと不満が妻の身の内でどす黒く渦を巻いた。
**
昼休憩中、エイジは机に突っ伏して眠っていた。弁当を食べた後に来る眠気が気持ちよく、その時間は必ず昼寝をしていた。
「ねえねえ、エイジ。僕、きのういいこと聞いたんだ」
突然、隣のクラスのチャメがエイジの教室に飛び込んできた。
「何? オレ、眠いんだけど」
「起きてよ。となりのK町に誰も管理していない空き家があるんだって」
チャメは隣の席に座り、あたりを気にしながら小声で話す。
教室にはスマホを見て話に興じる女子生徒数人とエイジと同じく机にもたれて眠る男子が三人いるだけで、チャメを気にしている者は誰もいない。
エイジが背筋を伸ばした。
「ふーん。誰情報?」
「ママ――じゃなくて、母ちゃんだよ。その家、幽霊屋敷って噂あるんだって」
いまさら言い換えてもマザコンキャラは変えられないよと、心の中でうそぶきながら、「幽霊屋敷? じゃあ、ダメじゃん」ともう一度机に突っ伏した。
「え? なに? エイジ怖いの?」
含みのあるチャメの声にエイジは視線を上げる。
「べ、別に怖くないよ」
「ふうん。ま、信用しとく。
で、僕、それきっと嘘だと思うんだ。僕らみたいなやつらが不法侵入しないように噂流してんだよ、きっと。
だからさ、一度行ってみようよ」
「うーん――」
「ババクンは行くって。ダンダにはまだ言ってないんだけど。
ねえ、怖いんならいいけどさ、怖くないなら行こうよ」
エイジがゆっくりと上体を起こす。
「よし。行くだけ行ってみるか。ダンダはオレが誘うよ」
放課後ダンダに話をし、二つ返事でOKをもらったエイジはいったん帰って鞄を置いてから後、みんなと待ち合わせしているいつものコンビニへ自転車で向かった。
すでに待っていた三人と合流しすぐK町へと走り出す。
赤い夕日が、自転車に乗る四人の影を長く伸ばしていた。
***
みすぼらしくとも一国一城の主となった男は自分の値打ちが上がったと思い込み横柄になった。
元より妻に対し頭が上がらない男だったのだ。傲岸不遜な態度などとってはならないことに、まるで気付いていなかった。
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