スイートホーム

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               ** 「こんなん見たからそんな気がするだけだ」  ダンダが笑った。 「ねえ、あれ」  チャメが吐き出し窓を指さす。  誰も閉めていないのにサッシが閉まっていた。だが、チャメの指しているのはそこではない。  庭の中央に男が立っていた。   ダンダが素早く懐中電灯を消しが、もう不法侵入はばれているだろう。  緊迫した空気がエイジの胸を締め付けた。心臓がどくどくと音を立て耳に届く。  だが。 「あのおじさん、なんか変じゃな――」  チャメが言い終わらないうちに男は瞬間移動して窓に飛び付きガラス越しに部屋の中を覗き込んだ。 「!」  エイジは悲鳴を上げそうになりとっさに口を押さえた。  チャメもババクンも同じように口を押えている。  ガラスにへばり付く男の頭は割れていた。  砕けた脳が血と混じり合った糸を引きながらこぼれ落ち、突出した眼球がぐりぐり動いて部屋の隅々を見回す。半開きの口からは泡状のよだれがとめどなく垂れていた。  男にはエイジたちが見えていないようで、自分たちに焦点を合わせることはない。  拳でガラスを叩き始め「おーい、開けてくれ。おーい、開けてくれ」と連呼し始めたが、エイジたちにではないようだ。  窓はぴっちりと締まっていたが鍵が掛かっていなかった。もし男がそれに気付いたらと思うと気が気ではない。  叫び声は「開けてくれ」から「開けろ」に変わる。  目玉だけが上下左右に動き、相変わらず視線は定まっていない。  入ってくることもなく、窓を叩き叫ぶ以外なにもないので恐怖は薄れて来たが、近隣に聞き咎められる恐れが出て来た。 「おい、あのじじい、誰に開けろってんだ」  ダンダが誰にともなく問う。 「おれたち、かな? 他に誰もいないし」  ババクンが答える。 「これ――心霊現象か?」 「ま、そうだろうな」  エイジの問いにダンダが笑い「とにかく黙らせないとヤベェな」  血濡れの男も怖いが補導されるのも怖い。  だが、近所の住人が出て来た様子もパトカーの来る気配もまったくない。  ただこれだけなのかもしれないとエイジは考えた。生前の行動を模したただの心霊現象で、隣近所には何も影響しないのだろうと。それを皆に伝え「あのじいさんよく閉め出されてたのかな」と笑った。 「テレビでホラー映画見てるみたいだね」  チャメもほっと息を吐き「カメラ持ってくればよかったぁ」と心底残念そうに地団太を踏んだ。 「俺たちマジで心霊現象見てんだな」  ダンダは不敵な笑みを浮かべると懐中電灯を点け男に向けた。光はガラスを通り抜け雑草だらけの庭に丸い形を落とす。その中に男の影はない。 「うわっ、やっぱ幽霊だ」  ババクンがたいして怖がってるふうでもなくつぶやく。  その時、宙を彷徨っていた男の視線が光をたどった。眼球がぐりっと動き、エイジたちに焦点を当てる。 「お前らは誰だ?」と男はいったん拳を止めが、すぐ「わしの家から出ていけっ」と叫び出し、さっきよりも強い力で窓を叩く。 「やべっ」  ダンダは慌てて懐中電灯を消したが、男の視線は四人から外れることはなかった。 「どうする?」  エイジは皆の顔を見渡した。 「あのおじさん、なぜかここに入れないみたいだからさ、このままずっとここにいる?」  チャメが怖いことを言い出す。 「やだよ。幽霊にずっと睨まれてるなんて」  ババクンがすぐさま却下した。  エイジも同感だ。 「いっせいに窓から飛び出して全速力で逃げようぜ」  ダンダが一人ひとりの顔を見て提案する。 「いっせいは無理だよ。勢いで先制しても最後の一人はやっぱり出遅れる。捕まったらどうする?」  エイジが首を振った。 「俺が最後になる。あんな幽霊怖くねえ。捕まったら蹴り入れて逃げる」  ダンダが頼もしい笑顔を皆に向けた。それにつられてエイジたちが頷く。 「よし、わかった、オレが窓を開ける。せーので行くぞ」  エイジが窓に駆け寄り「せーのっ」とサッシを引いた。  だが、窓は固く閉まってびくとも動かない。後ろに続いていたチャメ、ババクン、ダンダがぶつかって重なり合い、「何やってんだっ」とダンダが声を荒げた。 「ま、窓が開かないんだっ」  エイジは鍵を確認した。さっき見た通りクレセント錠は掛かっていない。「なんでっ」  男がエイジの目の前に移動してきた。  割れた頭と血塗れた顔を間近にしてガラスを隔てていてもエイジの脚は震えた。 「わしの家から出ていけぇぇ」  血の泡を吹き飛ばしながら怒鳴り散らし男は窓枠に手をかけた。だが、男にも開けられないようだ。  再びガラスを叩き始めた男の視線がすっと横に逸れた。ダンダの割った穴に気付いて移動すると頭を突っ込み始める。  拳大の穴から入れるはずがないと思ったが、隙間をすり抜ける蛸のようにやわらかく変形した男の頭はにゅうっと少しずつ入ってきた。  脳がこぼれガラスを伝い落ち、引っかかった眼球は神経がずるずる伸びてぶら下がった。  エイジは動くことができずにただ茫然と肩まで侵入してきた男を見つめていた。 「おいっ」  ダンダの呼び掛けでエイジは自分を取り戻した。  放心状態だったチャメもババクンも体をびくりと震わせ我に返ったようだ。 「こうなったら玄関から逃げようぜ」  そう言うとダンダが急いでドアのほうに向かう。  エイジたちも後に続いたが、開けたドアの向こうに誰か立っていた。  どう見ても普通の人ではない。  顔や手足が真っ黒に腐敗しガスで膨らんでいた。さっき微かに嗅ぎ取った腐臭が全身から濃く放たれている。  崩れてはいたが髪型や染みだらけの衣服から辛うじて女だと判断できた。  黒ずんだ体液を滴らせながらよろよろとリビングの中に入ってきた。 「まだ生きてんのかぁ」  女は叫び握りしめている分厚いガラスの灰皿を振り下ろした。  先頭のダンダがとっさにそれをかわす。  凶器はダンダの後ろにいたエイジの脳天に振り下ろされた。頭が陥没し、声を出す間もなくエイジは血を噴き出して倒れた。 「この家はお前のもんじゃないっ。出ていけぇぇ」  女はダンダたちに向かって灰皿を振り回し始めた。  それを右に左に軽くかわしながらダンダが注意を引いた。その隙にチャメとババクンが倒れたエイジを引きずってリビングを出た。  チャメは声を上げて泣き、ババクンは今にも気を失いそうに蒼ざめていた。それでも二人はエイジを持つ手を緩めなかった。リビングから玄関に向かって伸びる廊下をエイジを引きずって進む。床に太い血の線が描かれていく。それを見たチャメがさらに泣き声を大きくした。  ダンダは廊下に飛び出してくると同時にリビングのドアを閉めて全身で押さえこんだ。  がんがんと激しく灰皿を打ち付ける音が中から響く。  チャメが玄関を開錠し、ババクンと二人でエイジを外に引きずり出した。  それを見届けたダンダが玄関をいっきに走り出た。  ドアを閉める瞬間、リビングから灰皿を振り回す女が出て来た。  玄関をしっかり全身で押さえたダンダは灰皿を打ち付ける激しい音と衝撃を覚悟したが、何分待っても何も起こらなかった。いくら待ってもなんの気配もなく、ドアを開けて確認したかったが、もし女が灰皿を振りかざして待っていたらと思うと実行に移せなかった。  さらに数分待ち、ダンダはそっと身体を離した。ドアの向こうは静かなままで開くこともなかった。 「外まで、追い、かけて、こない、ね」  倒れたエイジに寄り添うチャメが泣きじゃくりを上げながらダンダを見上げた。 「ああ、きっと家の中だけの問題なんだろ」  ダンダが吐き捨てるようにそう言って大きなため息をつく。  大怪我をしたエイジをどうしたらいいのか。  だが、呼吸が荒く乱れ意識を失ったままのエイジだがその頭部には何も異常がなかった。陥没もしていなければ出血もない。  だが、名を呼んで軽く頬を打ったり肩を揺すったりしてもエイジは目覚めなかった。  チャメがまた泣き始める。  とりあえずここから離れようと、ダンダとババクンがエイジを肩に担いで門を出た。  近隣の家々は来た時と同じくひっそりと静かなままだった。何か起こっても我関せず――そう、最初からこの家の噂は真実だと示されていた。  閉店間際のスーパーでは見慣れぬ少年たちが無断で置いていった自転車が問題になっていた。  そこに戻って来たダンダたちは険しい表情の店長に叱責されるところだったが、様子のおかしい少年たち、とりわけ意識不明のエイジに気付き大騒ぎになった。  すぐに救急車が呼ばれ、警察に通報された。
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