序章

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 文禄二年(一五九三)年、秀頼が誕生する。待望の実子だ。秀吉はそれはそれは大層溺愛したのだ。  それから二年が経ち、秀吉は自分の死後の秀頼の将来、この国の将来を考えることが多くなった。自分の死後、この国の先々を考えた時に、先を託せる人物がいないことに気づき愕然としたのである。  秀吉がこのようなことを考える様になったのは、秀頼の誕生という機会があったのも要因ではあるが、体調がすぐれないことが多いからだ。何事も前向きに考える秀吉であったが、最近は自らの死へ恐れを抱き、それを振り払うべく色々と考えるのである。  信長様が旅立たれてから、儂は走り続けた。信長様が目指しておられた外の国にも対抗できる力をつくりたかった。巷では朝鮮への出兵の評判が良くないことも知っておる。だが、きっと信長様であれば、この日の本を纏められた後は必ずや外へ出向かわれたことであろう。だがまあ、少し早急であったかもしれんな。 そこまで、思考していると、急に咳き込んでしまった。白湯を飲みようやく落ち着いて、再び思考の世界へもどる。  さて、儂もそう長くはないようであるのう。したが儂がいなくなった後、この国はどうなるか。秀頼に主君の器があれば良い。器でなかったら再び世は乱れるであろうか。 頭の中では誰が自分の後を継ぎ日本の舵取りをするのかを候補と言える者を一人一人思い浮かべては査定する。  家康は外国と対抗できる国にするという大きな考えはないのう。あやつは自分の領土経営の延長としかこの国を見ておらん輩よ。あやつにはこの国の舵取りは任せるわけにはいかん。  はて……他に誰がいるであろうか?  利家は律儀者だが…。人を纏める力はあり、人望はあるが、しかし、やはりこの国の舵取りは無理であろう。儂と年もそう変わらぬしな。  上杉景勝は古い位にこだわってきた漢であるし、それに固執しすぎる。毛利輝元にいたっては家の存続のみに力を入れておるだけ。  みな帯に短し襷に長しよのう 。世界を見ている器量があるとすれば伊達か。しかし、政宗は野心が表に出すぎる気がある。やつの野心に触れた人間はやつに傾倒するか、毛嫌いするかの両極端に分かれるであろうのう。  ふむ、今の大名にはおらんではないか!  秀吉はすぐに近衆の者を呼び寄せた。 「兼続を密かに呼べ。いいな、密かにじゃ。余が茶を馳走したいと告げよ。それから信濃の真田と利家殿の倅殿も呼んでくれ」  秀吉は直江兼続、真田昌幸、前田利長を内密に呼び寄せた。このことは人に知られることはなく極秘のうちに数度の密会が行われたのである。  それから五年後、秀吉は信長の待つ冥府へと旅立っていった。  満を持したかのように徳川家康は天下を手中に収めるべく暗躍し、石田三成を煽り関ヶ原の戦いが行われた。  関ヶ原の戦いでは家康方の東軍が勝利し、天下は徳川家に納まるかに見えたのだが……。
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