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家康と秀忠の確執
大阪城を包囲していた徳川秀忠は撤退した。この戦で四国の所領は失い、池田輝政父子が豊臣家へ帰参する。分部光信と森忠正は討たれた。徳川方の稚拙な攻めと八万という兵力を持って豊臣軍は守りきったのである。
秀忠の撤退は、家康に相談することなく、秀忠の独断だ。撤退すると報せが来た時、家康は激怒し、「撤退など許さぬ。この家康が指揮を執るゆえ、儂が行くまで留まっていろ」と命じた。
「将軍は父上ではない。我である。徳川家の当主も私だ。私が撤退を決めた。父上がどうされるかはご自由にされよ」
家康の使いに対して、そう強く言い放った。家康の顔色ばかりを窺っていた秀忠が、生まれて初めて父に反抗したのだ。
「馬鹿者がっ!」
家康は怒りをあらわにして怒鳴る。
「大御所様。どうなさいますか?」
半蔵が恐る恐る聞いた。半蔵自身は関白馬揃えの頃から西方面では徳川方は分が悪いと感じていた。
多門城跡に布陣している家康の兵は三万五千ほどになっている。駿府から引き連れた三万の他に、合流した関一政が二千を率いている。一政と半蔵が近場の土豪たちを回り兵をかき集め、また自ら家康の元へ集った者とで膨れたのである。
「馬鹿息子が引いてしもうては、ここも危うくなる。駿府に帰るしかないが、ただ引き返したのでは面目が保てぬわ」
やはり家康はひと戦するつもりのようだ。内心、乗り気ではなかったが家康の手前、「おお、さすがは大御所様。この半蔵もひと暴れいたしましょう」と裏腹なことを口にして家康を喜ばせた。
「まあ、そう逸(はや)るな、半蔵。時をかければ大阪城の者共も、この首を狙ってやってこよう。その前に引かねば死ぬぞ。今、思案するによって兵をまとめておけ」
「はっ。御意に!」
ーーさて、何処をどう攻めるかだ。大阪へ寄せるは無謀。となれば伏見。生駒の山沿いに軍を進めるか。伏見を落とさずとも朝廷に徳川の力を見せておく必要があるーー
「半蔵。槙島へ向かうぞ」
槙島は京の南端だ。かつては槙島城があり、足利義昭が滅んだ地でもある。槙島へ軍を進めれば、京を守る伏見勢は看過できない。否応なしに出張ってくるであろうと家康は読んでいた。
家康は生駒山脈の山沿いを進み、関一政を先頭にして槙島へ向かった。
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