家康と秀忠の確執

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 槙島まであと二里となったころ、半蔵配下の忍びの物見が知らせる。 「半蔵様。槙島に城ができております」 「なに!? く、詳しく申せ!」  話によると小ぶりながらも二つの郭を設けた城ができて、天守閣などはないが、それを補うように大きな櫓が建ちあがって兵が詰めているという。 「兵はいかほどだ?」 「城には凡そ五千ほど。ですが城を取り囲むように二万は下らぬ兵が折敷いております」 ーーいかん。待ち構えておるーー  半蔵はすぐに家康にことを知らせた。城が建てられていることを察知できなかった服部党の首領として叱責されるであろう。  もちろん、幾人かの忍びは京に潜り込ませていたが、大阪城で戦が始まり、その方面に人を割かねばならなかった。数人の服部党の忍びは、すでに真田忍びに屠られていた。 「仕方あるまい。となれば、向かっていっても利はない。半蔵。退くぞ!」  強く咎められると覚悟していた半蔵は拍子抜けした。  家康は機を見て、退くのは上手い。本能寺の変の折も逃げおせたのだ。今回は多くの兵を率いていて、無様に逃げ帰るというわけではない。 「駿府に戻り、仕切り直しじゃ!」  家康もまた駿府へ引き返すのであった。  伏見城軍師の真田幸村は家康が多門城跡に布陣し、織田秀則の呼びかけで豊臣方大名が伏見城に集ったころから、槙島に手を加えた。  公家屋敷の整備のためと称して、造作を始めたのだ。京ならではの言い分であり、諸国からの間者が入り込んでいることを見越してのことである。  今の公家屋敷を建て替えるために、一時的に槙島を整備するといわれれば、「そういうものか」と服部党の忍びは納得した。工事の状況を探ろうにも、背の高い柵が設けられて、帆布が張られていた。  公家の屋敷であれば秘匿するも必然だ、としてそれ以上の探りはやめていたのであった。  中では土が盛られ二段の郭が作られて、更に一段上に本丸ができあがった。天守閣はさすがに手間がかかるために断念したが、本丸を守るように四隅に大きな櫓をこしらえていた。 「どうやら、家康は駿府へ引き返すようですぞ」  真田忍びの穴山小助が家康の撤退を知らせる。 「そうか。さすがにここに寄せる愚はおかさぬか。見事な判断よな」  幸村は槙島に集まった織田秀則、福島忠勝、塙直之へ危機は去ったと知らせる。三々五々、皆が散っていき槙島にいつもの平穏な時が戻る。
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