家康と秀忠の確執

3/7

3302人が本棚に入れています
本棚に追加
/598ページ
 秀忠は江戸城へ、家康は駿府城へと引き返した。  秀頼はすぐに主だった将を集めて、体制を整えなおす。  長きに渡り伏見を守っていた長宗我部盛親に土佐一国が返された。伏見城は盛親に代わり真田幸村に与えられた。  幸村が伏見真田家として家を興したことになる。付け城として槙島城も幸村の領内だ。幸村は猿飛佐助に槙島城を任せる。石高は五千石だが、真田忍びの頭領が晴れて大名格となったのである。  伏見真田家には以前より伏見城に入っている山川賢信に加えて、かつての秀吉黄母衣衆の伊木遠雄が寄騎となった。伏見真田家は山城国の半分ほどを治め十三万六千五百石である。動員できる兵は五千兵だ。  その他の所領配分については次のように決められた。  上杉景勝・・・米沢の他、越後岩船の所領を加増され四十万石。  仙石秀久・・・越後刈羽郡五万石を与えられ大名に復帰。  前田慶次郎・・・越後頸木を十二万石に高直し。  真田信幸・・・越後領一部と信濃北部・東部の五十二万石。  後藤基次・・・信濃松本十二万石。  前田利政・・・能登一国二十一万石の大名に復帰。  前田利長・・・加賀・越中七十二万石。  塙直之・・・山城国二条他六万石。  片桐且元・・・摂津三田二万四千石。  南条元続・・・摂津豊島郡に一万二千石。  池田輝政・・・織田領、三木を除く播磨四十八万石。  織田秀則・・・播磨北西部、丹波三十一万石。  横浜茂勝・・・播磨三木、山城御牧三万七百石。  宇喜多秀家・・・備前三十六万石。  福島正則・・・安芸、備後、備中四十九万石。  長宗我部盛親・・・土佐二十万二千六百石。  山ノ内一豊・・・伊予三十六万六千石。  加藤嘉明・・・讃岐、阿波三十万石。  来島長親・・・淡路六万二千石。  里見義康・・・安房、上総、下総の一部五十二万石。  島津家久・・・薩摩、大隈、日向の一部七十七万石。  加藤清正・・・肥後、筑後(三池除く)、日向の九十二万石。  池田利隆・・・豊前十四万石。  生駒正俊・・・豊後国国東郡、速見郡三万二千石。  高橋元種・・・筑後三池一万石。  秋月種長・・・豊後森一万二千石。  これらが主だったところである。大野修理や薄田隼人は所領を見る暇がないと言上して、所領無しで禄を賜っている。  他にも細かく所領割がなされたが、重要な人物の名がない。
/598ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3302人が本棚に入れています
本棚に追加