老武将

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 秀頼はすぐに堺の商人・松江隆仙を呼び寄せ、大野修理、片桐且元を同行させた。この時にもたらされた品は記録によると、虎の毛皮、朝鮮白磁、朝鮮人参、馬鈴薯、明製の青磁などである。この中で馬鈴薯は日本に初めてもたらされた。 「さて、私のお役目は終わりましたな」  惟新斎は国元である薩摩に帰ろうとしたのだが、秀頼がそれを止める。 「惟新斎殿。そう慌てずに、ごゆるりとされるがよかろう」  引き留めて、交易奉行を務めてくれるように懇願する。惟新斎も快く引き受けることになった。  実際の所、交易奉行は惟新斎でなくてもよかった。池田輝政などは適任であったかもしれない。秀頼の本心は、歴戦の将である島津惟新斎を手元に置き、戦話やすでにこの世から去った武将の事など書物では知ることのできない事象などを聞きたいからであった。  師匠と慕う前田慶次郎は米沢へ出兵しているし、正則は爺やのような存在であり、なかなか戦の話ができない。その穴を惟新斎が埋めてくれる気がしていた。  この頃の惟新斎こと島津義弘は、かつての野心は消え、すがすがしさが漂い気骨のある九州男児の気風を醸し出していた。  秀頼は朝鮮との交易は堺、富津(里見家領)、そして琉球の三箇所でのみ認めることにした。琉球は島津家の属領だ。琉球へもたらされたものは島津家へ持ち込まれることになる。  富津、琉球での交易では一定の献上金を豊臣家に納入させることにし、堺では松江隆仙を窓口、五商家のみ朝鮮からの物品を扱えるように触れを出した。松江隆仙には一定の献上金ではなく取引に応じた税と言う形をとった。堺の商家の中で松江隆仙は突出した財力を有するようになる。  これらの仕置きにより豊臣家直轄領は百二十万石程度なのであるが、交易による莫大な利益を得て、大阪城の金倉はまた豊かになっていく。
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