高虎退治(一)

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高虎退治(一)

……美作……  美作・小田草城代の本山六之丞の元を織田秀則の小坂雄長が調略のために訪れていた。美作は左右と南を豊臣方に囲まれており先行きが見えない地方である。  小坂雄長は豊臣恩顧の藤堂高虎の姿勢に豊臣方は怒り心頭で戦になった時、一族郎党は決して許されることなく処罰されるであろう事を説いた。その上で今の内に本山が織田家に従臣すれば、本領は安堵する旨であると調略を続けていた。  秀則は忍びの者を美作領内に放ち、本山六之丞に不穏な動きがあると噂を広める。直に噂は高虎の耳に届き、高虎の六之丈に対する態度に変化が出てきていた。高虎は明らかに六之丞を遠ざけて、ろくに会話もないほどになった。  それらの動きが功を奏し、何度目かの調略で六之丞は織田家に従臣することを決めたのであった。  小田草城下は僅かに三千石ほどだ。小田草城はそのまま城代に本山六之丞を据え、目付に織田秀勝に二千兵を預け美作に入領させた。織田秀勝はすぐさま空城であった日上山城を接収し居城とした。六之丞・秀勝はすぐさま募兵し、六百人余りを雇い入れ小田草城に配置する。小田草城は千五十兵、日上山城には二千兵である。  時は一六一三年六月末である。ちょうど上杉家が危機を脱した頃のことだ。  美作に橋頭保を築いた織田秀則は報告のため、大阪城に出仕した。 「上様、織田家は美作の一部に出張ることになりました」 「これは秀則殿、相変わらず活発でございますな。儂も嬉しく思いますぞ」 「そう言っていただけると手前も嬉しゅうございます」 「ところで秀則殿の版図はいかほどになりましたか?」 「はい、三十二万石と言った所でございます。」 「おお、僅かの間に…… 実にお見事でございますな」 「いいえ、上様のお気づかいがあったればこそでございます」  二人はまるで兄弟のようであった。お互いを認め合っている。特に秀頼は秀則に「余より君主の器がある」とまで思っていた。 「して、こたびはわざわざ御報告に参られたのでござるか?」 「実は御存じのとおり美作は、あの藤堂高虎が先年より治めております。高虎は性根は腐っておりますが、武将としては一角の者。もし織田が抑えた領内が攻められた折には、恥ずかしながら合力いただければと思い、お願いに上がりました次第で」  幾分、申し訳なさそうに言うのであった。
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