高虎退治(一)

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 秀頼より先に幸村が、地図を指差しながら話を進めた。 「まずは北から。これまで津軽、南部、佐竹の三大名に全く動きはなく、日和見。最上は当主の義光に深手を追わせましたが、伊達は虎視眈々と上杉殿の米沢を狙っております」  秀頼はじっと地図を眺めている。幸村が続ける。 「米沢には仙石殿、前田利政殿らが援軍として留まっています。上杉家内では兼続殿が療養中です。陸奥二本松は大関晴増殿が上杉家の寄騎として入りました」  ここで兼続の名が出て、秀頼の口が開いた。 「兼続の塩梅はいかがなのじゃ?」 「まだ半年くらいは養生が必要とか。血が仰山流れて、生きておったのが奇跡と申しておりました」 「そうか、しかし、無事でよかったのう。米沢が雪に閉ざされるまで、秀久、利政を留めておこう。雪が降ったら本領へ戻す」 「そうですな。それがいいでしょう」 「次は関東ですが、安房殿に常陸を攻めていただき版図を広げてもらいましょう」 「待て待て。慌てるでない幸村。東北じゃが先程の日和見三将だが、佐竹家は豊臣に近い。調略の手を誰ぞ向かわせよう。焦ることはないから、じっくりと話を進められる者が良いな」 「なるほど。確かに佐竹殿であらば説得できるやもしれませぬな。誰を向かわせるかはしばらく時間を下され」 「うむ、人選は任せた。だが、佐竹家は格を重んじる。それなりの者でなければ相手にもされぬぞ。慎重にな。  それで関東とな? 里美のとと殿には援軍はいるか?」 「いや。安房殿に援軍は必要ありますまい。一気に常陸を治めずともじわりと行けばよいかと」 「そうか。そうだな。とと殿なら上手くやってくれるだろう」 「さて、越後、信濃。信濃の南部は徳川方の高島城の諏訪頼水と高遠城の保科正光がおります。我が兄・信幸や後藤殿が関東に下らぬための抑えですが、たいした構えではないようですな。  しかし、この両城を治めるとさすがに徳川方も信濃に対して強く当たってくるやもしれませぬな。駿府の家康が自ら動く可能性も大きい」  豊臣家信濃衆は真田信幸を筆頭に、松本から安曇野までを押さえた後藤基次、川中島の石川貞清がいる。貞清は三河刈谷で周囲を徳川勢に囲まれながら気張っていた。大阪城の包囲が解けて、貞清を秀頼直轄領としていた川中島三万二千石に転封していたのだった。
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