秀吉の遺言を受け取りし者達

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 利長と利政は上杉景勝の密書を読み終えて、共に豊臣家に帰参する事に決めた。景勝の飾り気のない文脈で「豊臣家に改めて従うことにする。故・太閤殿下の御遺志に従わねば我が義が立たぬ」と書かれているのを目にしては、実際に秀吉と話を幾度もした利長は「我も」と思わずにはいられなかった。  しかし、前田家には母の件がある。二人は家老の横山長知を呼び、三人で話し合った。  その結果、横山長知は江戸に飛び、質となっている利長の母、まつこと芳春院を逃げ落とすことを命じられた。長知は七尾忍びを連れて江戸に入り芳春院を説得。密かに芳春院を加賀に連れ戻した。  芳春院は「もはや徳川の世。馬鹿な事はお止めなさい」と聞く耳も持たなかった。だが、秀吉の遺言の話と上杉景勝の話、そして何より二人の息子の意思が固い事を知り最後は納得して江戸を抜ける事を了承したのである。  こうして豊臣に帰参する事になった前田家だ。利政は加賀にとどまり、大阪へは利長が向かうことになった。 …大阪城…  大阪城の秀頼は凡庸で母である淀にべったりである。淀の方も秀頼を甘やかせて溺愛している。どうしようもない母子であった。  秀吉は三将に後事を託し遺言ともとれる数多の事柄に付いて言葉を残している。筆まめである秀吉が子である秀頼に、そして淀に何も言いのこさなかったのか。否、二人にも遺書が残されていた。その遺書は安房の里見義康が所持していて、秀吉の死後に淀に手渡されいる。その内容はこの後、明らかになっていく。  こうしてかつて秀吉が呼び寄せた三人の武将は大阪へ集う。  三人はすぐに淀と秀吉の遺児・秀頼に閲見し、今後のことを話し合う。  多くの豊臣恩顧の大名を引き抜かれたり、改易させられて、頼る者の少ない淀は三人の出現を大層喜んだ。  三人は二の丸内にそれぞれ屋敷をあてがわれ、対徳川の準備を着々と進めた。大阪城はとても広く三人は周りに留意しながら行動していたため、半年余りの間、家康方の密通者も気が付かなかった。  三将はそれぞれに各地の豊臣に味方するであろう大名や武将達に繋ぎをつける。それらは熟考を重ね、周りに、特に徳川方に漏れる危険性の少ない者達に限られた。  いよいよ家康に対抗すべく大坂方の準備が整いつつある。
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