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「なぁ」
スケッチブックと鉛筆を鞄から取り出す。彼女の向かいになるように椅子を動かして、そこに座った。
「最後にさ、描かせてくれよ。お前も含めて」
「私を?」
これまで周囲にばれることを防ぐために、彼女自身を描いたことはなかった。何時もトルソーの傍にいて、しかし決してキャンパスにその姿が描かれることはなかった。その度に彼女が嬉しそうな、楽しそうな、しかし何処か寂しそうな複雑な表情をしていたのを覚えている。
「簡単なものしか描けなくて悪いけどさ。記念品とでも思って受け取ってくれ」
そうして私は彼女に着席を促した。乳白色のトルソーと、それに寄り添う女性の姿。それが月明かりに照らされて神秘的な空気を漂わせている。
「――だから、泣き止め。描き辛い」
鉛筆を寝かせ、ゆっくりと輪郭を描いていく。黒鉛の削れる小気味良い音と、微かな紙の臭いが教室に満ちる。心臓が鼓動し、一定のリズムで脈動する血液の音だけが、私の感じている唯一の音だった。
私の絵は周りと比べて、飛び抜けて上手い訳ではない。線はまだ整えようがあるように感じるし、バランスもまだ改善のしようがあるだろう。
ただ、描きたかったのだ。彼女を。ずっと前からそう思っていた。
「(本当に――)」
この時、私は本当に感謝していた。この部に引き込んでくれた彼女に。秘密を共有してくれた友人に。この、一瞬に。
「あの、さ」
「……何?」
泣き顔と笑顔が共存する、いい表情だ。
「絶対、また会える。会いに来る」
だけど、やっぱり違う表情も描きたいものだ。花の開くような、太陽の煌めきのような。
「何年かかっても、またここに戻ってくるから、それまで待ってろ」
絵の中の彼女は泣き腫らした目の、満面の笑みだった。
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