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これはね、4年生の時の話なんだけど。
そう言って、S君のおばさんは話し始めた。
◇ ◇ ◇
おばさんは小学校2年生の時から5年生の2学期まで、熊本の小学校に通っていた。
今は地名も変わってしまって「市」になっているが、その頃は「郡」でかなりの田舎だったと言う。
両親が離婚し、母方の祖母が住んでる熊本に引越したのだそうだ。
4年生の時には、同居させてもらっていた祖母の家からもっと山の方の町営住宅に引越したのだが、学校まではずい分と遠くなってしまったと苦笑する。
当時の事を思い出そうとネットで調べてみたら、町営住宅から1.6キロ、徒歩19分と書いてあったそうだ。
だが小学校4年生の子供の足には、ものすごく遠く感じられたのだとか。
国道沿いの道を毎日テクテクと小学校まで通う。
歴史が古い小学校だったため、隣の市からバスで通ってくる生徒もいた。
母親の再婚で現在の土地に引越してきた時、最初に驚いたのはグラウンドの狭さだったと言う。
「だって、2倍以上の面積があったもの。運動会の時には家族全員がシートを敷いて応援、お昼にはみんなでお弁当を食べるのが普通だったんだもの。こっちの学校って、お昼には生徒は教室に戻るのよね。びっくりしちゃって」
持久走用のトラックとサッカーコート1面、バレーコートが2面あったというから、その広さに驚く。
おばさんが転入した頃は、ちょうど小学校開校100周年の記念事業で校舎の建て替えの時期だった。
1、2年生の校舎だけは真新しい鉄筋コンクリートの建物になっており、その他の4棟と図書館、講堂(体育館とは呼ばずに、こう呼んでいたらしい)は木造の古い校舎のままだった。
100年前に建てられたという学校の校舎は、全体的に薄暗くて静かな雰囲気で、おばさんはとても気に入っていたそうだ。
ただ、長い年月には逆らえず、廊下や壁にはところどころ穴が開いていたとか。
学校の敷地全体が広く、校舎や特別棟などはゆったりとした間隔を持って建てられていた。
学校を立てるための敷地確保が難しい現在では、考えられないほど贅沢な広さだ。
おばさんの4年生の時の担任の先生はIという男の先生で、クラスの誰からも好かれている人物だった。
彼女が5年生に進級する際に、I先生は新年度の人事異動で学校を離れることになり、クラス中のみんなが泣いて寂しがったという。
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