第1章

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 教室の戸を開けたら、そこには地獄が広がっている。  何気ない会話、鬱陶しい喧騒。  その中に混じる、ほんの少しの地獄。  進む足がすくんでしまう。  私は今からその中で一日を過ごすのかと思うと、怖気がする。  他人の短所なんてどうでもいいじゃない。  嫌いなら放っておけばいいじゃない。  どうしてそれをわざわざ表に出すのだろう。  朝の清々しい雰囲気に似つかわしくない、汚水のような光景の教室。  澄んだものを自らの手で濁す負の感情たち。  気持ち悪い。  それを聞いて平気な顔で日常を過ごせるこのクラスメイトも、こんなことを思ってしまう私自身も。  ここから逃げ出してしまいたいと思ったことは何度もある。  現実から目をそらし、聞くに堪えない言葉の数々から遠ざかろうと、何度も何度も思った。  けれど私は逃げることなく、毎日休まずこの教室に足を踏み入れる。  たったひとつだけ、大切なものがそこにはあったから。 「おはよう、あすか」  こんな地獄にだって、きっと綺麗なものはある。  私にそう思わせてくれた、たったひとりの大切な人。  この笑顔を見れば、嫌なことも忘れられる。  その声を聞けば、騒々しさも気にならない。 「おはよう、きりこ」  私は小さい声であいさつを返す。  きりこ以外に、私を認識されないように。  悪意の渦に、目をつけられないように。 「今日もなんだか元気ないね。どうしたの?」  私の元気がないのは教室という地獄のせいだ。  なんて言えるわけがなく、いつものようにいつもの調子でいつもの言い訳を述べる。  地獄だけれど、残酷だけれど、大切なものがある、この教室の。  誰もが気付くことのない、私の精一杯の嘘を。  仮初の笑顔と、裏腹の心を抱きながら、私は今日も、日常を生きる。 「ううん、なんでもないよ」
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