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組織を運営していく上で、彼の発言は間違っていないと思った。彼こそ、結果ありきではなくプロセスを重視しつつ、それに見合う以上の成果を得るために考えを巡らせている、真っ当な人間ではないのか。
今回のは勝ち負けではない。
正解なんてないのだ。人それぞれに合った、正解に一番近いところに向かって日々生きていくのだろう。
時には悩むかも知れない。今までであれば、相談相手は一治と三國ぐらいしかいなかった。
だが、今は違う。彼ら以上に自分を惹きつけてやまない人が近くにできたのだ。
「ただいま帰りました」
夜の道を二十分ほど歩いてようやくたどり着いた我が家。そのドアを開けると――中は暗かった。
人の気配はない。玄関に上がり、しんと静まり返った廊下を歩いてリビングの電気を点ける。やはり誰もいなかった。
朝食の場で聞いた話だと、松樹は書き物で一日中家にいるはずだったのだ。
「ん……?」
テーブルの上に紙が一枚置かれている。
手に取ると、そこには女性らしい丸文字で「またくるわ」と書かれていた。
杉元は驚かなかった。どこかでこうなると思っていたのだ。やはり行ってしまったのかと、そのメモを伏せてテーブルに置き、大きなため息をつきながら椅子に腰掛ける。
それもそうだろう。
元はと言えば取材のために彼女は行動していたのだ。恋人になったという話も、三國から情報を得るためと、一治の怒りを逸らすための方便だったわけだし、事件が解決した今となっては――この家にいる意味がないからだ。
そもそもが自由人な彼女。一つの場所に留まることなどできないのだろう。
「渡り鳥みたいな人でしたね……」
そう独りごち、立ち上がろうとしたが――力が入らなかった。
予想以上にショックを受けていたのだ。
どうしてだろうか。いや、そんなことは分かっている。これが恋なのだと知ってしまったからだ。
性的に欲情したわけではない。だが、彼女と一緒にいて、本当に楽しいと思った瞬間がいくつもあった。彼女が隣にいなくてはならない瞬間があった。もっと一緒にいて、もっとたくさん話がしたい。
彼女には礼も言えていないのだ。
まるで小学生の初恋みたいだと、杉元は鼻で笑った。引っ越すあの子に好きだと告げられず、落ち込む男の子。
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