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「それは……どこかに預けたからではないですか?」
「あれは私の全財産が入ってるって言ったでしょ? どこかに行くときは必ず一緒。どうして手ぶらで歩いてるのかって言うと――」
松樹があたりを見回し、そして遠くに向けて手を振った。その先に居たのは――セーターにチノパン姿の一治だった。
「あれ? 新一も来てたのか。いたるちゃん、待たせちゃって悪かったね。これからすぐ手配するってからよ。三時間後ぐらいにまとめて届けてくれるって」
「色々してくださって……本当にありがとうございます」
と、松樹が体の前に両手をついて頭を下げた。
訳が分からない。
「何がどうなっているのですか?」
振り向いて父親にそう尋ねると、軽く頭を小突かれた。
「何がどうなっているのですか、じゃねえよ。おい。いたるちゃんから聞いたぞ。お前たち、仮面アベックだったそうじゃねえか」
どうやら偽りの恋人同士だと言いたいらしい。
「そりゃ最初は驚いたけどよ、お前のためでもあったわけだ。それによ、聞けばいたるちゃんは各地を転々としてるそうじゃねえか。だから言ったんだよ。うちに住んでくれって」その言葉で全てを悟ってしまった杉元の顔が、みるみる赤くなっていく。「健次郎の部屋も空いてるしな、誰かに使ってもらったほうがいい。何より、一人増えりゃそれだけ楽しくなる。お前も異存ないだろ? あっても無視するが」
「なら最初から聞かないでください。異存はもちろんありません」
「だからな。客用のじゃなくて、いたるちゃん専用のマットレスと布団を買いに行ってたんだよ。近くに知り合いがやってる店があってな、届けてくれるって言うからよ」
杉元は恐る恐る松樹を振り向いた。
彼女は笑顔だった。その目は蔑んだり嘲笑ったりしておらず――本当に嬉しそうな瞳をしていた。
「あれ……? でも、またくるわってメモは……?」
杉元はスーツのポケットに入れていたメモを思い出して尋ねる。
「だからすぐ戻るって書いてあったでしょ?」
そうだ。この人はそういう言い回しをするのだった。
今度は耳まで赤くなるのが分かった。どうやら、松樹も理解したらしい。今度は明らかに勝ち誇ったような笑顔だった。
「いたるちゃん。さっき探してたいい店ってここかい?」
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