フードジャーナリストのチカラ

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 オレンジ色のキャリーバッグを引いてビルの反対側に向かう松樹の後を、二人がついていく。 「和洋菓子本舗じゃ正面から入っちまったけどな」 「あそこは正面しかないから仕方ないわ。店の奥に家があるんだけど、いつも正面から出入りするしかないからって、改装を考えてるらしいわよ」 「そういうことが大事なのですね」 「気遣いがね」  ビルの裏手に回ると、業者のためなのか開け放たれているドアがあった。松樹は特にためらうこともなくキャリーバッグを手にそこからずかずかと入っていく。  二人も松樹の後ろから中に踏み込んだ。  まず最初に感じたのは、豆を蒸す匂いだった。その出処は右手の調理場で、先ほどカウンターで見た店主と同じような白衣を着た五人の男性が、様々な大きさの釜でバットほどもある木のへらを突っ込みかき混ぜている。  正面奥は喰屋の暖簾が見えることから、カウンターなのだろう。先ほど外で客に呼びかけていた女性が、キャンセル分の最中を売っている姿が見える。 「お邪魔しまーす。あ、どうもご無沙汰してますー」  杉元たちに向けるトーンとは明らかに違う朗らかな声をかけながら松樹が向かったのは、左手の少し奥まったところにある狭い部屋だった。  そこでは、先ほどカウンターで杉元たちを訴えると脅したごま塩頭の店主が、小さなテーブルについて茶を飲みながら、眉間に皺を寄せて書き物をしているところだった。 「おじちゃん!」  声をかけられ店主が顔を上げる。松樹のにこやかな笑顔を見ると、険しかったその顔がみるみる緩んでいき、まるで遊びに来た孫を見るかのような優しい表情へと変わっていった。 「おー、いたるちゃんじゃねえか! 元気しとったかあ!」 「元気にしてましたよ、おじちゃん。おじちゃんも元気そうで私も嬉しいよ!」  手を取り合ってぶんぶんと振る。杉元と三國は、そんな二人の様子を影から伺っていた。 「そうそう、おじちゃん。この前ね、取材で和歌山行ってきたんだよ。そしたら、おじちゃんの好きなものを見つけてね」 「俺の好きなもの?」  松樹はキャリーバッグのハンドルにかけていたリュックの中から、小さな菓子折りを取り出して店主に手渡す。 「おー、もうで餅じゃねえけ。覚えてたんだなあ!」
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