81人が本棚に入れています
本棚に追加
「事件の経過は以上だ。それほど大きな話になるとは誰も思ってはいなかっただろう。だが、一歩間違えればその子供が殺されていたかもしれない事件になった。まずはどうして殺人が疑われる事件の捜査に、交通課の杉元が同行したのか……その理由を聞かせてもらおう」
荒川中央警察署の三階にある署長室で、杉元は直立不動のまま敬礼を続けていた。その隣には冷や汗をかいている交通課の課長が髭をさすりながら、所在なげに背を少し丸めて立っている。
そしてその二人を見据えているのは署長の湯島だった。背は杉元よりも低く体型も中年男性としては細めのシルエットだが、太い眉とその下にある鋭い目から向けられる視線、腕組みをして唇を一文字に結んでいるその表情には圧倒的なオーラが漂っていた。
課長が口を開く。
「検視では殺人と判明してましたが、第一報では路上で倒れていたという話でもあったので、それで交通事故かも知れないと思い……捜査課の三國と一緒に検分だけしてもらおうと思った次第でして」
それなりに経験を積んでいるであろう課長もこの空気に呑まれているようだった。
「呼びつけるのに報告資料に目を通さない馬鹿だと思っているのか? 目撃者は走り去る車ではなく、争う声を聞いたと書いてあった。まさか虚偽の報告があったと言うんじゃないだろうな?」
「い、いえ……そういうわけでは」
「となると、やはり私を馬鹿にしているのだろう。ごまかすのはよせ。話ぐらいは聞いている。杉元が過去に起こした騒ぎのことだ。交通課も刑事課もそれに同情して、杉元を捜査に同行させていたことぐらい、知らないとでも思ったか?」
「いえ……」
次に出す言葉がなくなってしまったのだろう、課長は息を呑んだまま黙りこくってしまった。
皆が自分のためを思ってしてくれたことなのだ。それが元で、皆を巻き込んではいけない。
「……全て自分の不徳のいたすところです。申し訳ありませんでした」
杉元はそう言って、深く頭を下げた。
「どういうことだ? お前は業務命令に従っただけだろう」
「いえ、命令は受けておりません。ただ、そういう状況があると教えられただけでして、僕の行動を皆さんが暗黙的に許容してくれていただけに過ぎません」
「ほう……見上げたヤツだな。あくまでも周りは巻き込みたくないと」
「事実であるからです」
課長がちらりと自分を見てきたことに杉元は気づいていた。
最初のコメントを投稿しよう!