第1章

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「シチサンは毎日会社に連れていってもらえてるじゃありませんの! 年に三回の旅行には必ずオオグチですし――それに引き換え、ひよりが恋人を作らないせいでわたくしの出番はほとんどゼロですのよ? 不公平ですわ!」  痛いところを突いてくるわね。確かに最近タテロールを使ってないのは事実だわ。  デートなんて高校の頃に一回したっきりだし、おでかけって言ってもここ数年は会社帰りにどっかへ寄る程度でほとんどシチサンだったし。 「……分かったわ。ただし、大人しくしてること」  気分転換にもなるし、たかがバッグを替えたぐらいで何も言われないわよね。 「ひより。俺たちは動けないと言ってるだろう?」 「そうじゃなくて、余計な口出しはしないでってこと。気が紛れるから仕事中のお喋りはダメ、飲み会の時も変なこと言わないでね」 「もちろんですわ!」  嬉しそうに目を輝かせている金髪のお嬢様が見える。ま、タテロールはせいぜい田舎貴族の末っ子がお似合いね。 「じゃあ寝るわよ、お休み」 「ひより、お休み」 「お休みなさいませ」 「いい夢を見るんじゃ」  部屋の照明を落としてもぞもぞベッドに入ると、あれだけ寝たのにまた眠気が襲ってきた。  誰かに寝る前の挨拶をするって、すごく久しぶりのような気がする。  ちょっといいかもと思いはじめたあたりで、あたしは眠りに落ちた。    - 「ひより、何があったの……?」  会社のプロジェクトルームに入ると、同期の加藤亜希がおはようの挨拶もなしに驚きを通り越して心配そうな顔であたしを出迎えてくれた。  十畳ほどの部屋、その中央には三人掛けの机が二つ向かい合わせに置かれてる。右手にある机のドア側にダンボールが、左手に開発用のサーバーが乗っかっている他は、それぞれが使う資料や参考書がブックエンドに挟まれたり内線電話があったりする、ごく普通のデスク。  部屋の左手には壁一面を埋め尽くす棚があって若干威圧感があるものの、奥と右手には十階から見下ろせる都心の風景が見えて――今月の頭に急遽作られたにしてはまあまあ居心地のいい空間。 「おはよう、亜希。何って特に何もないわよ?」 「本当に?」  奥の右手に座る亜希は同い年の三十二歳で、ダークのパンツスーツ上下に襟元がちょっとふわふわした感じのブラウス姿。やや釣り目気味の力強い瞳と、きりっとした眉がやり手のキャリアウーマンって感じ。
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