第1章

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 ふう。またため息をひとつ。  三十歳を越えてからというもの、二週間に一回は必ずかかってくる「早く結婚しろ」の電話。どこから探してくるんだか、今時流行らないってのにお見合いの話まで持ってくるし。  まあ、この年になっていまだに彼氏の一人もできなけりゃ当然か。 「ひよりさん、ヨウコって誰ですか?」  背中から声をかけられてふと振り返ると、そこには後輩の福原芽衣子がいた。幼い顔立ちにショートボブの黒い髪、刺繍が散りばめられたグレーのチュニックにカーキ色のパンツで高校生ぐらいに見えるけど、れっきとした二十九歳の大人で――三十路ボーダーライン的に言えばギリあっち側な子。  会社に数多くいる後輩の中でも前に面倒を見たことがあるせいか、けっこう懐かれてるのよね。 「あ、そういや芽衣子がいたんだったっけ」 「ひどーい。ひよりさんも今日は予定ないって言ってたから来たんですよー? 押しかけてきたからって空気扱いはひどいですー」  そう抗議をしてくるものの、その顔は一ミリたりとも迷惑だなんて感じていない微笑みでいっぱいだ。  一日挟んでまた土日だけど、ゴールデンウィーク最終日だしゆっくりしていようと思ったのに。 「で、ヨウコって誰なんですか? 教えてくださいよー」  フローリングに敷いたカーペットにアヒル座りしてやや首を傾げつつ、興味津々にこっちを見つめてくる。  この追求をかわすのは面倒くさそうだし、天然な芽衣子のことだからスルーしてくれるだろうと期待して普通に話す作戦を採用した。 「洗濯機よ洗濯機。あたしってさ、小さい頃からモノに名前をつける癖があるのよね」  うんうんと二回頷く芽衣子。まだあたしから視線を離さないってことは、具体的な名前を言えってことか。 「例えば──洗濯機はヨウコ。メーカーの名前をもじってるの。冷蔵庫は壊れたのを直して使ったからヤンキー。不良を更生させたイメージ。トースターはよくお焦げを作るからオコゲちゃん」  まあこれぐらい言えば満足でしょうとその顔を見たら、「……ドンビキかい」大変残念ですと言わんばかり、眉間に皺を寄せながら体をのけぞらせている芽衣子。そう言えば、結婚式で久しぶりに会った従姉妹にこの話をしたら同じような顔をしてたっけ。 「まあ、そうじゃろうな」 「仕方ありませんわね」
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