山麓

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 かつてこの地は、地中海からの温暖な空気が吹き込んでくる、豊かな土地であった。  それが今は、標高約500メートル程ながら気温は時に氷点下30度を下回る事も珍しくない、極寒の世界である。彼らの拠点は岩場の影で比較的風雪を回避することができるものの、外出には細心の注意を払うことが余儀なくされた。  翌日は幸運にも晴天であった。夜のうちに荷物をまとめていた二人は、小屋の外にある小型のソリにそれらを詰め込めるだけ詰め込む。目的地までの距離は15キロほどと近く長居するつもりもないが、この地の雪嵐は一度吹き荒れ始めるといつ収まるか分からない。彼らは3日程度の予定に対し2週間分の食糧を準備した。 「昼までには到着するぞ。」 男はソリの手綱を体に回しつつ、言った。 「向こうの観測機を少しばかり失礼して覗いてみたが、夕方から若干天気が荒れるようだ。」 「それって、ちゃんと帰れるの?」 少年は分厚い山羊皮の防寒具から顔だけを出している。 「大丈夫だ、長続きするようなもんじゃない。」 男は心配する少年にそう答え、ゴーグルを下ろした。  辺り一面銀世界である。この地に慢性的な雪が降り始めて500年、地盤が氷土と化して200年。南に150キロほど下ったところにある首都にこの寒波が及ぶのは時間の問題であった。  全地球規模の寒冷化が問題となったのは、科学文明が全盛を迎えていた2400年代初頭のことであった。突如、全世界の海底火山の実に70パーセントが、活動を停止したのだ。明確な原因は不明であったが、これにより大気中の温室効果ガスの濃度が激減。それに伴い、年間0.1~0.5度というとてつもない速度での地球寒冷化が始まったのだった。  それから700年の月日が過ぎた。  究極の情報化により、全人類の理想とされた「地球一体化」を為し遂げ、民族の違いや国境をも消し去っていた科学文明は、寒冷化による物理的環境の変化に対応出来ず、その衰退と共に「理想的」な姿を失っていった。国家や国境の復活、兵器による闘争の再発、そして、肉体の死。技術によって回避してきたあらゆる苦難をその喪失によって再び押し付けられることとなった文明は、しかしそれらに対応する術を知らず、瓦解の道をひたすらに突き進んでいるのであった。
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