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唯一楽しみは食べること。新しいお菓子が出ると必ず買い物カゴに入れるし、期間限定と銘打っていればとりあえず買う。おかげで、ストックが食器棚の引き出しいっぱいに詰まっていて、まるでお菓子屋さんのようだ。服を買うでもないのだから、これくらいの贅沢はいいわよね?少しずつしか食べないし。その引き出しがお菓子でいっぱいになっているだけでトモコは幸せだった。
息子を送り出すと、今朝見た夢の世界にもう一度浸った。
「アキト先生。」
そう独り言を呟くと、トモコは切なくはあっと溜息をついた。
それは初恋の人の名前だった。
トモコは中学生の頃、一時期絵画を習っていた。その絵画教室の先生がアキト先生。当時アキト先生は、20代前半。その華奢なスタイルと柔らかな笑顔と物腰に一目惚れした。アキト先生は見た目通り、優しくてトモコの絵をとても褒めてくれた。
「トモコちゃんの絵は本当に素直で透明感があるね。」
そう優しく微笑まれると、トモコは赤面を隠すために長い髪を垂らし、俯いて耳と頬を隠した。
その教室には2年くらい通ったが、受験のために教室を辞め、塾に通い始めた。
「いつでも遊びにおいで。」
そう微笑むアキト先生に甘えて、時々トモコは足しげくアキト先生の家に足を運んだ。だが、受験勉強も佳境に入ると、そうもしていられず、いつの間にかアキト先生の家から足が遠のいていた。
高校受験に合格し、真っ先に報告しようとアキト先生の家を訪ねるとそこにもうアキト先生の姿は無かった。売家の札が門の横に立ててあり、どうやら一家で引っ越したようだ。
アキト先生の行方を知っている人は誰も居なかった。どこへ行ったのか、生きているのかどうかすら、トモコは知らずにただただ寂しい思いを胸にその場を去った。アキト先生は体が弱かった。
社会人として会社で働くには少し無理があり、細々と自宅で絵画教室を開いてわずかなお金をもらっていたのだ。
「行って、みようかな。」
トモコはパジャマを脱いで洗濯を済ませ干して、身支度を整えた。
ウォーキング用のジャージに着替え、スニーカーをはき、ウォーキングついでに、アキト先生の家だった場所に赴いた。
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