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「待って。話と違うよ。好きな人できたって言ってたでしょ。写真だって見せてくれたよ」
「そんな話信じるのあんたくらい。ちょろかった。で、どうする? 今ここで別れるって電話して言いな、そうしたら命だけは助けてやる。ほら、電話出しなよ」
「ゆうちゃん待って。おかしいよ。怖いし、やめてよ」
「私本気だけど。本気で好きなんだ。あんたより幸せになれる」
一歩前に出た本野裕子に、押されるように後ろに後ずさる高宮は首を横に振りながら「そんなことできない」と電話を背中に隠してぎゅっと力強く握った。
「バカじゃないの? 電話しないと殺されるんだよ」
「ゆうちゃんはそんなことしない」
「するよ。昔から気に入らなかったんだ。本気でやる。ここで殺ったってあんたは誰にも見つからない。行方不明者で終わることになるから」
「そんなことできない。ゆうちゃんやめよ。意味ないよこんなこと」
「早く言いなよ」
「できない!」
少しずつ後ろに後ずさっていた高宮は一気に振り返り土を蹴った。
「逃がさない!」
逃げた高宮を追って本野裕子も走った。
悲鳴を上げながら逃げ回る高宮の後ろを離されないように距離を詰める本野裕子の顔には笑みが浮かんでいた。
無我夢中で走っていた高宮は土から盛り上がるように突き出ていた木の根に気付かずに足を引っかけておもいきり前につんのめった。急いで体制を立て直し、本野裕子の方を振り返った時、目を見開くこととなった。
自分と同じように木の根っこにつまづいて前のめりに倒れてくる本野裕子と目が合った。
その両手には出刃包丁が握られていた。
一瞬の出来事だった。
逃げる間もなく勢いのついた本野裕子は高宮と視線を合わせたまんま包丁を高宮の胸に深く突き刺した。自分の体重をかけて深く深く、深く、高宮の胸に包丁を突き刺した。
小刻みに震える高宮の口からは血が溢れ、目を見開き天を仰ぎ見た時、本野裕子の中で何かが目覚めた。
馬乗りになったまま包丁をしっかり握りしめてゆっくりと高宮の口からあふれ出る血を飲み込んだ。
「甘くてとろとろしてる」
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