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藤次郎から着信があった時、家を出てから既に二時間近く経っていた。
時刻は二十一時前。
入り口で部屋番号を押そうと思ったら、ロビーから藤次郎が出てきた。
「元気そうだね」
「あー、おかげさまで。物は?何か買ってこなかった?」
「うん。別にいらないかなって」
「そっか」
なぜか、藤次郎の目を見ることができなかった。
一緒にエレベーターに乗り込んで、十四階のボタンを押す。狭い箱の中、どちらも言葉を発することはなかった。
「元気になって良かった。じゃあ、帰るね」
下駄箱に仕舞われたパンプス。寝室のクローゼットの中には、スーツとシャツがご丁寧にハンガーに掛けられていた。
「危なかったよ、これ、見られてたら」
子機のそばにあったキーケースを手に取り、着替えようと寝室に向かう。
少し乱れたベッドを見て、まさかなんて考えが頭を過る。目頭が熱くなってきたのを察知して、再びクローゼットを開けた。
「何もない」
お前の考えてることなんてお見通しだと言われているみたい。
「ここで抱くのは、お前だけだって決めてる」
そんな誓い、何の役にも立たない。藤次郎が結婚したら、いとも簡単に破られてしまうのに。
「眞由美さん、本当に気が利くね。熱冷ましもお料理も、全部やってくれたんでしょ?やっぱり違うなー」
可愛さも、純粋さも、素直さも、若さも。何一つ敵わない。
「藤次郎のこと、大好きなんだね」
それでも、この気持ちだけは負けないと断言できる。
「気が利くし、料理もうまいし、可愛らしいけど、」
背後に立たれるだけで、心臓がもたない。動悸がして、眩暈も併発しそう。
触れてもいないこの距離で、下腹部が熱くなる。
「お前を超える女がいるとは思えない」
触れたら、全てがどうでもよくなってしまう。
眞由美さんがとか、会社がとか、立場がとか。
この腕の中で起こることだけが、あたしの中の正義。
「いつだって、一番いい女だって思ってる」
眞由美さんがいるくせに。
「嘘つき」
「嘘じゃない」
「だって、眞由美さんが…」
「うん。でも、」
「一番大事なのは、お前だよ」
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