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(落ち着け…落ち着くんだ…)
自分にそう言い聞かせながら、私は歩き始めた。
方向などわからない。
ふと見上げた空に太陽はなかった。
当然、自分の影もない。
だからといって暗闇ではない。
そのことを認識する程に、恐怖感は募っていった。
鐘の音は、でたらめに思える間隔で鳴っては消える。
どの方向から鳴っているのかさえわからない。
(落ち着くんだ…大丈夫だ…)
私は心の中で呪文のようにそんな言葉を呟いた。
何度も、何度も…
まずは行ける所まで行ってみよう…
何の根拠もなく、私はそう決心し、一定方向へ歩き出した。
この異常な世界にもきっと「果て」はあるはずだ。
それはただの思いこみだが、ある種の支えでもあった。
一所にじっとしているよりは、動いてる方がまだ幾分気を紛らせることが出来るような気がしていた。
出来るだけ、周りの景色は見ないようにして、最近の出来事について考えていた。
そうするうちに、私は最近のことが思い出せないことに気が付いた。
自分のことはしっかりと覚えている。
生い立ちについても覚えている。
思い出せないのは、ごく最近の…数日間の記憶だけのような気がした。
最後の記憶は、酒場だった。
仕事を終え、ふと気が向いて立ち寄った路地裏の酒場…
そこで、私の記憶はぱったりと途絶えていた。
記憶の糸を手繰る間にも、鐘の音は鳴り続く。
遠くから聞こえたり、近くから聞こえるように感じたり…
なるべく、その音のことも気にしないように考えながら、私は、白い世界を歩き続けた。
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