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「ところで、ししょー。今日の宿は見当ついてるの?野宿は嫌よ。」
あまり金子を持ち合わせてないし大体、江戸で宿が空いているかも確信はないから。
「ああ・宿ではないんだけど。ちょっとした伝手があるんだ。……江戸にね友人がいるんだよ。」
ほら、君も下駄なんか履いてきちゃうし。
そういって笑う。
だがわたしには得体のしれぬ不安が胸中を占めていた。
ししょーの声は続く。
「そこはね身分は農民なんだけど剣豪の集う道場でね。大丈夫、いい人ばかりだし。……ただ、君には男装してもらわないとかもなんだァ。」
……やっぱり。
まあ・野宿が避けられるのなら、背に腹は代えられぬ、だ。
……ちょっとししょーのニコ……いやニヤリとした表情が引っ掛かるけど。
「はあ……まあそれくらいなら。」
そういった瞬間のししょーがやっぱりめちゃくちゃいい顔していたのは気のせいではないはずだ。
***
あのあとこれ以上にないくらい急いだわたしたちは無事に江戸にはいることができた。
「店が閉まらないうちに夕餉と用事を済ませてしまおうか。」
「はい。」
人、人、人、人……。
こんなにも多くの人を未だかつて見ることはなかった。
突然。
ふらりと。
ドン・と肩にぶつかった。酒のにおいが鼻孔をクンとかすめる。
―――何が?
そう思っているうちに気づいたら尻餅を付いていて無精ひげを生やした男に睨まれていた。
―――怖い、恐い、コワい?ワカラナイ。
記憶が脳裏をかすめる。
『いいかい?強いからと言って無茶してはいけないよ。君は女の子なんだ。』
『いくらししょーでもその言葉は聞き捨てなりません!わたしは弱くないッ!』
『君が強いのはこの俺が保証する。……けどそういうことじゃないんだ。』
わかってくれ、といった真剣な、ししょーの顔が頭に浮かんで消えた。
ハッとする。ししょーはいなかった。
そうわかった途端、視界が震えた。と同時に、早くこの状況を打開せねば。とも感じた。
が・そう思うほど体は動かなくて。
悔しくて涙が出そうだったけど。
―――こんな奴の前で泣くもんか。
それがせめてもの意地だった。
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