第一曲目 トンシャン娘、江戸へ行く

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「すまなかったな。」 再度言うその言葉に謝罪の気持ちは欠片もこもってなかった。 それの正体はししょーの小刀だった。彫刻刀と同じといってもかわらないほど、のものである。 「!」 「どうか許してやってくれ。」 先ほどと同じ丁寧な物腰なのに、なぜだろう、刺々しさを含んでいるように感じた。 ―――ああ・これは殺気だ。 体は覚えていたらしい。 ししょーの目はやはりどこまでも鋭くそれでいて澄んでいた。 綺麗とも思えるほどに。 「チっ、しゃあねぇ。今回は許してやらぁ。」 当然のごとく、男はそう三下のような台詞を言い捨て人ごみへと逃げて行った。 周りの野次馬たちも口々に彼を褒め称えた。 (やるねェ!優男!)(あたしも前あいつに絡まれたんだ!スキっとしたよ!) それを見ないうちにししょーはわたしのほうへ歩み寄って着物が汚れるのにも構わない様子で片膝をついた。 先ほどまでの研ぎ澄まされた瞳ではなくわたしの好きな清んだ瞳だった。 「遅くなってごめんな。怖かっただろう。」 柔らかい声。 安心する温もり。 何より大好きな瞳。 「……っ。」 「おいで。」 わたしはししょーの胸にすがってちょっぴり泣いた。 ししょーの着物から香る白檀の香りをスンと肺にため込んだ。 「ししょー…。」 「ん?」 「ごめんなさい。わたし…わたしは、わたしは何もできなかった……。 あんなに鍛えてもらったのに! あいつの前では無力だったッ……。」 「それは、違うよ。ただ、君は女子で、僕らが男で。 ただ、それだけなんだよ。だから君はそのままでいいんだよ。」 立てるかい? そういってわたしを引っ張り上げる。 そうしてそのままわたしの手をつないで人波へと誘ったのだった。 いつの間にかわたしの劣等感も涙と一緒に流れてしまったようだった。 手を握っているのを思い出して、でも離したくなくて。 キュッと握って。 「ししょー、ありがとう。」 そういえば、ししょーは「ん。」と言ってギュッと握り返してくれたのが、わたしにはありがたかった。
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