アン・グラビティ・ベイビー

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「頼むわよ」 両親はわたっしにそう厳命すると、そそくさとタクシーに乗り込みハワイへと旅立って行った。 腕の中には2歳の弟。 あまりにも突然の事ばかりで頭がついていかない。 「モアちゃん、どういうこと?」 キャッキャッと笑う弟の瞳を見つめながら、タクシーの残した排ガスの臭いに顔をしかめる。 なんだろう、このやるせなさは。 「あたしたち、ハワイ当たったのよ! ハワイ!」 1年ぶりに実家に戻った娘に対する、母の第一声はこれだった。 別に大学生だし、親離れはしたし、処女も捨てたし、朝ご飯も食べてきたし、べたべたに再会を喜べなどとは年齢的に言いたくはないけど、それにしても…… 父は父でアロハを着てるし、母は母で旅行ガイドを握りしめてるし、変んな宇宙人のフィギュアが玄関に置いてあるし、廊下の電球切れかかってるし、リビングのテーブルの上は畳み掛けの洗濯物に占拠されているし、「なんなの!」ってキレ気味に呟くと「おかえり、お菓子あるわよ」とか言うし、本当にこの人たちは娘をナメているんだ。 わたっしは正直、子供が苦手だ。 実の弟だろうが、苦手なのだ。 わたっしの戸惑いや若干の嫌悪を感じたのか、 モアは抱かれごごちが悪いとでも言いたげな表情で、モゴモゴと腕の中から逃げ出そうとする。 動き続ける柔らかな脂肪と熱を帯びた筋肉の塊。 「んぁんぁ」 「ちょ! だめ!」 慌てて抱き寄せて拘束しようとするけど赤子の方が素早い。 雄叫びをあげながらものすごい笑顔でモアは腕の檻を抜け出して床に着地。 ビデオの三倍速を見ているかのような驚異的なハイハイで隣の部屋へと消えていく。 たたたたたっ、と足音が遠ざかっていく。 「でんしゃ、でんしゃあ」 隣の部屋は父が趣味で作っている鉄道ジオラマが占領しているはずだ。 多層構造になっていて、科学博物館で昔見た蟻塚の断面標本になんとなく似ているやつだ。 急に疲れが出てきた。 実家に帰るため、大学の寮を出たのが朝6時。 乗り物が苦手なので、到着するまでの4時間半、バスの中も電車の中も眠れなかった。 よたよた足でモアを追い隣の部屋に向かおうとしていると、騒いでたモアの声がピタリと止まった。 「頼むわよ」 母の声が警報のように頭の中に響く。 頭皮に鳥肌が立ち、わたっしは慌てて隣の部屋に駆け込む。
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